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2014年6月

2014年6月25日 (水)

すれ違いの悪夢

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 世の中は思うほどにはうまくは行かず、ものごとがすれ違いに終始するのは、両者がすれ違ったことすら、お互いに気づかないでいるためかも知れない。韓国と日本、その似て非なるものは、情を尽くせば打算でかえし、義理と人情のあらばこそ、彼らの心の底では日本への蔑視がうずまき、地位ある長官でありながら、日本の餓鬼ども、と呼ばわるにいたっては、もう、あ然とするばかり。最低限のモラルさえも失って、そのファンタジーの病は高じて地に落ちたも同然。
一方、日本の中をみれば、良かれという思いか、ことあるごとに彼らの肩をもつ者もあるけれど、贖罪意識に染まり、われらが先達を足蹴にして、彼らへの大衆迎合するこによって自らが善良なるものへと身をおくならば、それは大いなる間違いであり、すれ違いでしかない。なぜなら、見てきたとおり、彼らの増長をよびこそすれ、何のためにもならず、いつまでも目を覚ますことがない。つまり、言うべきことを言わないで、よき隣人ではありはしない。
すべての元凶は、彼の国の為政者のなしてきた間違った教育の弊害であり、その誤解が岩となったのであり、議論は成り立つはずもない。河野談話の検証は、彼ら為政者とメディアによる国民感情という名の一部活動家の期待にいかに応えるか、ということに視点をおいたもので、おおよそ事実に即さない愚劣な情の産物でしかないことを、明らかにしたのでした。

 

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2014年6月18日 (水)

自らをあざむく不条理

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 何におびえているのか、感情か理性か、つき動かしているものは、外への怖じけなのか、それとも内への不信のゆえか、それは、確かなものとあるゆるものへの自由さがあってのことか、つまり好悪を別にして筋が通っているのか、このかたくなさの不可思議は、打たれ弱いこの国、この浮世の人間のさがといってしまえば、それまでのこと、何も思いつめるまでのこともないが、しかしながら、われらひっくるめて野蛮となるかのような、言論のあおるは、結局、自己否定も同様の押し売りであって、そもそもそのようなことを招くというのは、国民に帰するのであって、その国民への不信をもって異議をいうは、自らの立ち位置はどこにあるのか、はなはだ釈然とするを得ない。もっとあっさりとできないものか、それもこれも、過去のしがらみ、呪縛の解けないためならば、良くも悪くも過ぎ去ったことは問わない大らかさは、何ものにも代えがたい信頼を手にする万国共通の矜持ではなかったのか、もっと節度をもってあっさりとできないものか、と思うのです。

 

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2014年6月11日 (水)

美意識の欠落

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 誰しも美しいものにひかれる。歌舞伎や能狂言、あるいは俳句や短歌にしても、つまるところ、外面、内面を問わず庶民の美へのあこがれが、その発展をうながしました。それがわれらの精神情緒の温和性を育んできたと思います。そのような諸もろのことが、芸術文化の薫りを放つという意味において、先進国である証しの一つともいえると思います。

美は、本来あるべき人間のすがたそのものであり、その美意識をもっていればこそ、敬意は表にあらわれ、異文化の習俗や、考えの違いを乗り越えて交流が可能になり、調和へと向かうこともできるのであります。美は、狭量を排し、現実をありのままに見なければ、見えてこないでありましょう。

ただ、表面だけを装っても、前言の数々がわざわいして、おのずと下心は、見え透くのであります。たとえば、「平和を・・」、とか「非人道的かつ人権を・・」、などと今さらのようにいっても、もう偽善は消し難く、誰も信じることはできないのでありまして、所業の隠蔽体質は、ねつ造をもって恥じることなく、一向に文明の夜明けが見えて来ぬことと、なるのであります。

人の目を誤まらせるものは、第1には美意識の欠落、第2には、狭量、第3に、現実からの逃避、でありましょうか。
 英BBC放送、読売新聞などが、共同実施したという調査によれば、日本が世界に悪い影響を与えている、という評価は、中国で90%、韓国で70%、という大方の世界の評価に背反したおどろくべき結果でした。なんというエゴイズム、気づかない誤解というものが招く退行思考の恐ろしさを思うのでした。いや、誤解ではなく、私欲と保身に走る為政者に人を得ないということでしょうか。

 

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2014年6月 4日 (水)

虚言と策略の反社会性

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 でてくる言葉とは裏腹に、言行不一致が露呈する。中華思想という言葉の通り、自己中心的な考えがしみ込んだものは、外から言われて、反射的に自らの行動の非を自覚すればこそ、いつもそのことそのままを、相手にぶっつけ責任の転嫁によって正当化しようとします。その策略が見え透いている限り、功を奏することはないでありましょう。

ベトナム船が中国に体当たりされて破損、沈没させられた船もある中で、「中国はいかなる国に対しても、武力で威嚇したことは一度もない」、と平然というに至っては、反社会性障害の虚言癖、ここに極まれりというものです。中越戦争を忘れ、日本の護衛艦にレーダー照射、ロックオンしたのも、いまもミサイル機で近づき威嚇したのも忘れたか。

中国は、「南シナ海の南沙、西沙諸島は、2千年以上前に中国が発見し、管轄下に置いた」という。いつも歴史という常套句をつかって、ごまかそうとする。領土をかすめ取ろうとする。2千年という永さは、万里の波濤にさえぎられているを見れば、まったく、無意味という歴史の永さであり、栄枯盛衰により国破れその断続は、一国として定まることならず、航海術も未発達にして遥か洋上に悠久にして継続して統治がおよぶはずもないです。

つくられた歴史は彼らの中に生きこそすれ、世界を納得させることはできはしないでありましょう。中国のやり方は、いまに至ってことの善悪の判断はなく、虚言と策略をもってしても、勝てばそれでよいとする。日本はどうか。真っすぐであろうとするから、いかにごまかすか、ということは思いもしない、思想的に対極にあると思います。

 

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