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2014年7月17日 (木)

大国の矛盾と古めかしさ

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 真実は力で曲げることはできない。戦略はよし策略は悪し。国の力というものは、必ずしも独裁権力によってつくものでもないです。なぜなら、活力である戦力は、国富である民の所産とすれば、人間の生まれて成長するまでの、自由でおおらかな生命力の育成があってはじめて、その総和として民の力が結実するからだと思うのです。そこには、情報の遮断も、言論の押さえ込みもないのです。
 中国は新しい大国の関係、という言葉を使い始めましたが、いかにも古めかしいです。世界が、新しい時代はどうあるべきか、模索しているときに、ひとり、偉大なる復興という過去に執着しても、もはや古びたものは、旧きにおいて価値があるのであって、いまの時代には適合はむずかしいでありましょう。時代は流れているのです。機会あるごとに、古き時代の産物に発想を得るのであれば、それはいまの潮流に合わず貧困性が見えるような気がします。中国は、軍事大国になった感はあるけれど、それだけのことしかないです。
 いわゆる大国というものに要求されるものは、それなりの品格とするなら、自らを大国と自称し、それをもって自国の優位性をアピールし、大国の関係という言葉をもって、自国への干渉を排除しようとするなら、もはや品格は霧消するに等しいです。内部構造には、私腹を肥やそうとする慢性的腐敗、主権と称して小数民族の人権を蹂躙して止まない、文明国にあるまじき矛盾、そしてかれらへの、歴史の隠蔽と捏造という風説は、やむことがないのでありまして、その大方を信じる者として、大国は未だ遠し、の感があります。
その内部の現実とのアンバランスと矛盾は、格言にいう、大男総身に知恵が回りかね、を想起し威圧感を減殺するのです。しかし格言は、また、小男の総身の知恵も知れたもの、といましめるのも忘れないようです。

 

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