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2014年7月30日 (水)

時が流れて見えたもの 

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 「生きて行くことは、けがれていくことなんだけれども、自らけがす人、人からけがされる人、周りからけがされていく人がいる。」 
これはかつて、作家の藤本義一さんが言ったことばですが、誰しも人生は、大変なんだということでしょうか。人はそれぞれに、人とのかかわりの中で成長していきますが、考えも情緒も、行動もまた、良くも悪くも、知らず知らずに何かの感化を受けずにはいられないです。考えの定まった言葉にであえば、そうかと納得したのが始まりで、その心酔は高揚作用によっていつのまにか、同じ言葉をさがしてしまう。気がつけば、思い込みという感情の淵にどっぷりと浸かって、容易にぬけだせない仕儀になる。そういう一面的でひとりよがりのけがれは、自らには、容易に見えはしない。

   時は流れて、ある時、一つの唄が流れてくる。都会の絵の具に染まらないで帰って、とやさしく言われた言葉もむなしくして、もう帰れない、とつれなく言った一言は、はるか時空を越えて胸に刺さる。それでも、ねえ、涙ふく木綿のハンカチーフください、とさらりと許すつつましさに、その言葉のいつまで消えず、いつの日か気づいて欲しいという思いが見えてくるのは、永い時間の後のこと。言葉には出さず、けがれのないものが、涙したものは、あの頃にして、道を間違わないで、と問うていたのかも知れません。太田裕美さんのヒット曲はいまでも時おり流れてきます。軽快なテンポの中に隠された、結末の哀しみにこぼす涙は、内面のけがれなさを見ていたのに対して、男は周りからけがされていく、みるに耐えない哀れみだったのか、ゆがんでしまった今の世情を見るに、切実に迫ってくる気がします。この唄は、そんな警鐘を鳴らしつづけていたのかも知れないと思うのです。 

 

 

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