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2014年8月30日 (土)

自由を貫くという理不尽

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 まっすぐに立っていることは、とても難しい。朱にまじわれば赤くなる、のたとえのように、生きるほどに何かの色に染まるざるをえない。それが感性、情念となって、人の個性という価値になる。個性の尊重とその自由という、自己増長と悦楽の権利を絶対のものとして、もてはやしてきた世の風潮があります。しかしながら、その自由という権利を与えるに、限りなくやっかいなものが、人の心に忍び入る魔手にあやつられる、自我のままに抑制と平衡感覚を失わせることでありましょうか。

 朝日新聞の、まるでどこの国に新聞か、というほどに偏向した論調の繰返しは、綱領にうたう言論の自由を貫くに、すさまじいまでの執念を燃やして、その個性の発露の躍如たるものがあります。高い倫理観をもって責務を全うする、という言葉も空しくして、故意にねつ造記事を流しつづけるという、悪事をしていたのでした。社長以下、免職もなく、誰として責任をとらないどころか、なお本質をまげて正当化をはかろうとする醜悪そのものです。

個人に表現の自由があっても、公器である新聞には、自ずと守り行うべきモラルを課されている。それを持たなければ、どうしようもなく、地に落ちたも同然。それどころか害悪であり犯罪となる。他をおとしめようと自らが描く夢をもって、他を糾弾すれば、いずれ自論は破綻せずにはおかない。なぜなら、ある目的をもった自論は、少なからず欲望や執着心をともない、時間の長きにわたって正当性を維持するには、あまりにも脆弱なものであり、世には有り余るほどの異なった正当論のある中で、その闘争に勝つことはできないのと思うのです。

 

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