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2014年8月 6日 (水)

虚像の道を追わせた背信

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 決めつけてしまえば、ことは簡単だ。もうそれで押し通すだけでいい。しかし、世の中は、複雑で一体どうしてそうなったのか、どうすればいいのか、考えれば考えるほどわからなくなる。そんなことはお構いなし、という国もある。ただ無闇に押すだけ。

結局、韓国の言論というのは、まず固定観念をつくってそれに基づいて動く。その思い込みは、自らの心情に合うものだけを、無批判に受け入れるという簡単な原理で成りたっている。それを絶対なものとして、ただ妄信する。多様にぶつかれば、いきおい言葉は攻撃的に紋切り型になる。理屈はない。反論のための反論に終始し、相手を封殺しようとする。権力につかれた暴君のごときだ。小中華という自負によって生み出された日本への蔑視感がそうさせるのか。

しかし、彼らにも現実が見えたとき、そんなはずではなかった、と屈折した感情によって、一つのことを必死に言いつづける悲しさがある。そこに多様な個性が出てこないのが不思議というか、もうあわれというしかない。一体、何を求めようとするのか。もとめるべきは、なぜそうなったか、謙虚な自己の反省の中にあるはず。なぜなら、道は自ら切り拓かなくて、だれが与えてくれるというのだ。自己を客観視できなければ、振る舞いはいつまでも粗雑のままだ。

歴史は進化するために流れている。茫々とした中にも避けて通れない必然もあれば、ロマンもある。歴史は、大きなうねりの中で、あらがうことのできない運命にあやつられて、広大無辺につむがれる。不遜にも、そのひとつまみを、私有として掌中できるはずもないだろう。それなのに、朴槿恵大統領は、ことあるごとに、正しい歴史認識などと、政治にもてあそぶのは、あわれの極みなり。すべての民の幸せは、どこにあるのか分かっていない。

彼らに同調していては、彼らはそこから脱することはおそらくできない。しかし、朝日新聞のしてきたことは、それにまったく重なるものだった。韓国の肩をもつ振りして実は韓国に、虚像の道を追わせた重大な背信でもあった。しかも日本に対して悪辣にして害悪を流してきた。
・・・このように、決めつければ、楽な気分になる。決めつけるということは、一種の麻薬かも知れない。


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