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2014年9月 5日 (金)

自信と勇気と清潔を

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 日本人は元々、清潔好きといわれています。1日の終わりに風呂に入りアカを落として、新たな気分で再生する。また、身も心も不浄なものと自覚し、身を清めることも、よくあること。身を清めることは、初心にかえることであり、心を静かにする礼儀作法ともいえます。

「日本を取り戻す」とは、ひとことで言えば、身をきれにして、さっぱりしよう、ということではないかと思います。気がつけば日本は、元々もっていた大事なものを失いつつ、自分から汚れ、外からも汚され、すっかりけがれてしまって、輝きも薄れてしまった。ここで、ゆっくりとアカを流して、再生を期すのです。心静かに目をとじれば、唄を忘れたカナリヤのように、わすれた唄も思い出されてくる。それが、「日本を取り戻す」ということではないでしょうか。つまり、自信をもって歩きはじめる、ということだと思います。

人それぞれにとらえ方も、感じ方も違うから、これがそうだと言い切るわけではありませんが、浜矩子女史は、ちがった見方をしているようです。文芸春秋の誌上でつぎのように言っています。「安倍政権は、『日本を取り戻す』のスローガンで、『走り続ける日本』への回帰を目指す時代錯誤政権だ。過去に引きずり戻そうとする毒ガスの香りを放って、中々の危険物であることは確かです」 と悲観主義に立てばそんなことになるのかと、驚きでもあります。

何を失ったかの自覚がなければ、それもいたしかたないのかも知れません。そのような悲観論をメディアが歓迎すれば、見えるものも見えず、自由な発想も阻害される危険性があるのではと思います。「日本を取り戻す」というのは、政策をもって力づくで成すものではなく、自然に勇気をもつことに他ならない。そこに清潔な拍手をおくるものであります。 

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