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2014年10月13日 (月)

独り占めの悪夢

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 創造は反逆か、それとも挑戦か、あるいは風土に根差して生まれる稀有な産物でしょうか。それほどに、無から有をつかもうとする作業は、途方もない難事です。創造は、さまざまな既知と未知との格闘であり、深い思索と探究の果てに、機知というエッセンスをもつものに、勝利をもたらします。その結果、他の人たちに驚きと喜びをもたらし、人類の暮らしに貢献するとういう栄誉を手にします。

 ノーベル物理学賞は、青色LEDを開発した、赤崎勇教授、天野浩教授、中村修二教授の3氏に贈られることになりました。やはり、それを生む風土というものはあるだろうと思いますね。打算と欲得、不信の世界にいてはできません。未来を拓こうとするには、それに見合うだけの過ぎ去った年月の醸成が必要だろうと思います。つまり、歴史を無駄に刻まない土壌があったればこそです。

そこに、先人の英知が継承され、極めるということに、喜びを見出す伝統が育つからです。他者に求めるのでなく、自らの中に求めつづけるという姿勢には、崇高なものがあります。
怒りというものは、たとえ正当性があったとしても、復讐という一面が見えますが、向かうものが自然法則の世界が相手であれば、厳然として妥協はないのであります。それでも、もとめ続ければ、清泉にたどりつくことができるのであります。

 一方、創造とは異なり、平和を希求する姿勢は、万人のものであり、日本だけに与えられたものでもありません。憲法九条をノーベル賞にという考えは、小学生のように善良ではあっても未だ無知、それを至上とする、うぬぼれであり、他に押しつけようとする自己中心的な思い上がりであり、世界を相手にする愚かな不敬でさえあります。

思いついたら走らずにはいられない小市民と一部の政党の意にくみしようとするのであれば、今度は、日本自らが、ノーベル賞を政治利用した、とそしりを免れえないでありましょう。その気勢をあげる人たちは、いつの間にか何者かに毒され、謙虚さを忘れてしまったに違いありません。憲法の起草者であるアメリカが、受賞するならそれでよい。

しかし、一国の憲法が、ノーベル賞になることは、有りえないでしょう。仮に間違って成ったとして、予想するに、不愉快に思うものもあれば、いっそうに日本への風波は激しさをますでありましょう。あるいは、主権を守る気概なしと見られ、信は落ち、海の果てに埋没するのでありましょうか。それが彼らの裏に隠された目的ということもあり得ますが、夢々、目先の一事にとらわれておごるべからずであります。

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