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2014年11月23日 (日)

真っ直ぐに成れないのは

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 後に戻れない、ということで言えば、過去は解決済み、と見ることもできましょうか。それでも、ことあるごとに過去にこだわる人もいるわけですが、それを言っちゃお終いよ、というも憚られるような風が吹いているのであります。

現在起きたことは、過去の流れと、未来への慣性の関係において、起きるべき準備がなされていた。それは、だれも止められない因果によって必然性があったのかも知れないです。そうして、1秒後には過去のものとなり、しだいに歴史の中へと姿を変えていくのであります。

世に完全なものはない、と知れば不完全なものも、また愛すべき人間らしさというものでしょうか。すべては、不完全なる人間ということを謙虚に知れば、互いに心を癒し、励ましあうこともできたでありましょう。

完全とまでは行かなくても、人が真っ直ぐになり切れないのは、間違った教育による進む方向の過ちであったり、あるいは愚にもつかない賛美で、他の道を見失わせたり、また、現在の感情で過去を言い、往時の現実から離れてしまう、ということでありましょうか。
それは、流れる木の葉のように、明日への確かな自信の無さが、過去へのこだわりを捨て切れない、という姿勢に表れて、失意の繰り言のようにも聞こえるのであります。

それら自己に溺れる虚栄は、確かに生きて行くことの、致命的な障害になることは、大いにありえるだろうと思います。それは本来の人の姿ではなく、時間の中で汚れてしまった不浄というもの。となれば、水に流して清浄な心に立ち返ったなら、なんと清々しいことか、と知ると思うのでありますが。・・・

 

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