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2014年11月 9日 (日)

歴史の裏返しの濡れ衣

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 人は正しい行動を見て、正しく育つ。不運な境遇にあれば、悔しさが渦まく。その逆境は、自由と美的な営みを知らず、思考はその泥沼の中でもがく。
韓国の反日はどこからくるのかといえば、呉善花さんによれば、日本の韓国併合が起源ではなく、もともと、それ以前からあった日本をさげすむ伝統に由来するのだ、ということです。だとすると、理由なんかはないわけで、とても重要な証言ですね。そういう風習というものがそうさせているなら、彼ら自身に問題があるわけです。彼らが言っていることは、信じがたいことばかりです。

イザベラ・バードは、「朝鮮紀行」の中で概略つぎのように述べています。首都ソウルにしても、商店と呼べるレベルのものは無かった。あるのは、特権階級の搾取であって、民は、無関心、無気力、無感動の底に沈み込んでいる。朝鮮には階級が二つしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であった。そして、日本については、日本が徹頭徹尾、誠意をもって奮闘したと信じる。と言っています。これは、そこで見ていた者の確かな目でありましょう。

一方、呉善花さんの「韓国併合への道」には、つぎのように書かれています。韓国の国定教科書は、「日帝の不法で過酷な支配と冷酷な収奪」という観点で貫かれている。これが、正しい歴史認識という、戦後、韓国政府の取ってきた立場だった。

かれらの言う、過酷な支配と冷酷な収奪、というのは、イザベラ。バードの見た朝鮮そのものの、姿ではなかったのか。両者を比べてみれば、結局、韓国の反日というものは、韓国の歴史の裏返しではないか、と思うのです。

つまり、自分たちの歴史の中に見ていたものを、今度は、日本人の中に写して見ている。そういう教育だった。過去の敵はもういない。日本は、現実にそこにいる。経験してきた歴史というものは、リアルに目に映る。だから、日本は歴史を反省しない、と信じて止まない。実は、反日というのは、自らの悲惨への憎悪の復讐を表しているのではないか。しかしそれは、相手を間違えている。正しい行動を見て来なかった者の、その思い込みは、迷惑この上ない、と思うのです

 

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