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2014年12月10日 (水)

不浄のものをきれいに

141210d

 ひと言でいえば、人は、面目のために生きているのではないか。ひとから見られているというかすかな予感が、その存在価値として、心の安定を支えている。孤独で、まわりから何の視線も感じなかったら、これほどやる気の失せることはない。孤独、孤立おそるべし。ひとりでは生きられるはずもなく、ひとがあって自分がある、その中で、少しでも自らの顔が立てばこそ、生き生きと道を歩むこともできる。

しかし、実をもたずして、ただただ、面目だけに生きる人たちも中にはいるわけで、何かにつけて人の面目をつぶすことに熱心、ということもあるようで、それは心の浅ましさがでるばかり、いつまでも実りのないということに気づくべきです。

いまは、衆院選挙戦のただ中、弱者とか格差とか、生活がよくならないじゃないか、とすべて政治に責任を帰するよう声が、通りすがりに聞こえくる。はたしてすべては政治にあるのだろうか。そんなに人はひ弱なのか。生活をよくする政治の即効薬はないわけで、あのときの親のひと言が、後で効いてくるということもある。損をして得を取れ、と言われるように、先のことをじっくりと考えることも必用です。

何をするにしても、人それぞれに、面目なくして、明るく生きる力は湧いてこない。そういう意味で、衣食住の生活要件の前に、しっかりとした土台の上に立つことが必要で、不浄なものをきれいにしていく、そういう教育なり、地味な実践が必要ではないだろうか。

 

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