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2015年1月21日 (水)

理性と感性と自制

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 人間、うまくやっていく要件は、互いに良い関係を築くことであるなら、大事なことはよきライバル関係を築くことにありましょうか。つまり親子であれ、男女間のあこがれであれ、あるいは国と国のつながりにしても、やりとりに新鮮さがあり、互いに無くてはならない存在にあれば、もう互いにいがみ合うこともないでしょう。
それは理性と感性と自制が、うまく調和した結果と申せましょうか。自制は度量であり、成長であり、潤滑油であると思います。誰しも自制は、なまやさしいものではないですが、けれどもこれなくして世の中は成り立たない気がします。

さきごろ韓国の外相は、慰安婦について、人権の問題、性暴力の問題、と発言したと伝えられています。どこからそのように断定できるのか、理解ができません。性暴力などという実態として根拠のない以上、もとより人権の問題ではないし、そういう言動によって、むしろ彼ら自身が、慰安婦を貶めてきたことを思えば、「慰安婦の方々が自尊心と名誉回復を望んでいることを、日本は深く考える必要がある」という韓国外相の発言は、なんという空々しいことか、と思うのであります。

自制なきものたちはときとして、その断定的な語調がカリスマ性をおびることもありますが、所詮、おごりにほかならないです。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ、でありましょうか。

 

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