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2015年2月20日 (金)

信念という病根

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 すべての元凶は、自分のしていることは正しいという信念にもとづく誤解からはじまる。自分は絶対に間違っていないという信念は、人の歩みの中で感情と認識によってつくられ、過剰と欠落の産物になるのはやむを得ない。そのため、しばしば他者とのそれとは、矛盾する悲しさがあります。

自民党の二階総務会長は、朴槿恵大統領からいわゆる慰安婦問題の解決をうながされ、「まったくその通り」、と答えたということです。氏のその言葉は、立場をわきまえず、自己を弁護して他人ごとであるかのように聞こえます。へつらいであり、いずれにも不実であり、見るにたえません。日本の立場は、解決済みというものであり、二階氏が問題あり、という認識であれば、威圧を受けて萎縮し、表層しかみていない、底の浅さからくる誤解というものでありましょうか。

外交は下心であり、もくろみでなければならない。経済の活性をもとめるのが訪韓の趣旨であるなら、それに徹し、横道にそらされ利用されると知るならば、その手にのらないことです。朴大統領に会うなら、間違いなくその言葉の予測できたはずなのに、「まったくその通り」とは、あきれ返ってものが言えません。察するところ、信念によってそれが言いたいがために訪韓か、用意していた言葉がそのまま出たか。

加藤前支局長の出国禁止問題でも、解決の鍵は、朴大統領がにぎっているわけで、「司法の場に移っている」、という彼女のにべもない拒絶は、欺瞞でしかないです。彼女のためにも、なぜに言葉を返さない。いまの病根はここにあり、と思うのであります。

 

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