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2015年3月

2015年3月26日 (木)

時流に盲目な人生

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 意表をつく会話がつぎからつぎへと出てくる展開は、痛快そのもの、見ていて飽きない。先日みたドラマ、”デート~恋とはどんなものかしら~” は、なにごとも自己の信じる定見にあてはめて行動する女と、古色蒼然とした書物の山の中でくらす高等遊民を自称する男。理念が一致するというふたりは、いたってまじめそのもののつもり。ふたりが引き起こす騒動は、並みに外れて、見ていて、ただ唖然とするばかり。

理念という言葉の高尚にして、その実、何をいっているのか分からないおかしさで周囲を煙りに巻く。そのふたりが、軽蔑すべき恋というものを体験してみたいという努力は、計画的、論理的にいくはずもなく、まるで異次元のできごとのように噛み合わず挫折に終わる。

ドラマは、主役ふたりの熱演もさることながら、とりまく周囲は、彼と彼女を愛しながらも、ついて行けない、と言わずながらに、胸のうちがにじむ脇役陣の演技が光る。結局ふたりは、あやしげな、自己のあるべき姿の上に立って、こり固まってしまったその行動様式から抜け出すことができない。周囲と遊離している原因に気づき得ない。皆は、あきれてもの言えず立ち去る。

残されたふたりは、思い通りに行かない欲求不満に、りんごのやけ食いで涙する。コミカルな成り行きで、それなりにおもしろいのは、ドラマの上のこと。何が、ふたりをそのような人生観に育て上げたかは、一考を要するけれども、時流に盲目、固定観念にとらわれ易い世相への痛打を暗示して、現実への警鐘をならしている気もするのでした。

 

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2015年3月20日 (金)

偽りごとの不安定さと破綻

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 世は信用がなくては、何ごとも成すことができない。広い社会にあっては、そのお互いの信用が、豊かな情感を醸成して進歩を促し、自他ともに明日への期待がわく活動の源泉になる。ところが、もとより他人に信を置くことあさましという風土は、信用というもの、まったく眼中になきがごとくに振舞う。ただもう、自己中心的に考えることしか知らない。そこに明日はなく、自らの限界の自覚なく、いつか挫折をまねくことを知らない。

古来の兵法の教えは、現代の価値観の前に、遺物となっていることに気づかず、いまだに、無知は無知として、あざむくことを至上の作戦としてきた結果、悲劇とも喜劇ともいえるものを生んでいる。現代においては、兵法よりも、ゆっくりとした時間の中に自らを養い、いかにして信用をえるか、がもっとも難しい問題であり、それを制したものが、一目置かれる立場を得ることができる。

だましのテクニックは、長期戦に耐えられず、その偽りごとの、もろさと不安定さゆえに、かならずや破綻する運命にある。相手をあなどって、我田引水、押せ押せの一点張りは、身のほども、行く手にあるものも見えず、自ずと弱点をさらけだすだけという結果に終わる。そういうところに共感を呼ぶものは生まれない。

日本が尖閣の古地図を公開したことについて、中国の報道官は、「歴史的事実は誰かが、無駄な努力をして探し出した1、2枚の地図で、くつがえされるものではない」と述べ、「必要ならば、中国に属すると明確に表記する地図を100枚でも1000枚でも探し出せる」と反論した、と伝えられる。身の痛さを感じて色を失ったか、下手な喜劇を演じているというしかないです。

 

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2015年3月11日 (水)

言葉の値打ち

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 おだやかに生きるものは、でる言葉もおだやか。荒びて生きるもの、ことば粗野にして思慮を知らず。思いつきは経験の域をでず、放たれた矢は、自ら矛盾を感じて向きを変え、その身に降る。海の向こうから、良識を失うな、誠意あるなら、胸に手を当てて自問せよ、などという声が聞こえてきます。

人としてのあり方や生き方がずれていれば、礼もそれなりずれてしまうのかもしれません。高所から見下ろした言葉は、思い上がりにみえて、思わず、それはあなたのことですか、と密かに聞いてみたくもなります。良識をお持ちですか。誠意はおありですか。してきたことは素晴らしかったと胸をはれますか、と。

また、朴大統領は、日本は勇気を持って率直に歴史的真実を認めよ、と繰り返します。あなたさまに歴史があり、私にも歴史があるのですよ。ものごと、見る角度が違えば景色も違ってみえて当然でありしょう。歴史の大敵は、偽善と狂信だと思いますが、どうですか。日本が偽善で狂信だと、心からおっしゃるのなら、もはやお話しすることばがありません。

日本が統治した時代、衛生面と教育に力を注ぎ、多くの学校を建てました。なぜだとお思いでしょうか。生徒数は、45倍になりました。ハングルが読めるようになりました。識字率が向上しました。他の植民地教育にくらべ最高のものだと言われています。それらのよき遺産を受け継いで発展してきたのが、あなたさまのお国だと思いますよ。このこと、メルケル首相だっておそらくご存じないでしょう。日本とドイツでは、180度方向が異なっていたのでございます。だから、お国に対してあまり負い目を感じることはありません。それこそあなたさまの望む日本の本心ではないですか。

「勇気を持て、」にしても、「誠意あるなら、」にしても、普通なら、あまり人に対していえる言葉ではありません。アーカンソー・デモクラット・ガセット紙のポール・グリーンバーグ記者は、「言葉は、いわば、思考が通貨に形を変えたようなものだ」といったそうです。つまり、その通貨の価値が下がれば、思考も感情も、行動さえも、その価値が下がるというのです。ことばにも貧富の差があるという卓見でありました。アメリカのシャーマン次官の、「安っぽい喝采を浴びるのは難しいことではない」というひと言も、このことを言っているように思えるのでございます。

 

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2015年3月 4日 (水)

妙案ありやなしや

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 いまさらながら、「日本は韓国をどこか一段下に見ているようだ」 といわれても漠然としていて、どこがどうなのかよくわからない。たしかに遠慮して、言うべきことをはっきり言わなければ、相手にしていないのと同じで、冷たく感じることもあるだろう。正しければ正しいと言い、間違っていれば、それは違うよといえば、時間がたつほどに、心の中では、ちゃんと向き合ってくれていると、感じるにちがいない。どうせ分かってはもらえないと、始めからはっきり言わなければ心に響くことはない。それは不信をまねき、下に見られている、と思われても仕方がない。

一方で、朝日がしてきたことは、逆に間違ったことを平気で焚きつけ、ありもしない歴史に逆戻りさせたことは、実に不誠実で、真に韓国のためを思ってのことではない、かの地の空気を推しはかって我意を通す手段としたことは、一段どころか、ずいぶんと下に見ている。それは、ことごとく日本を倒すことしか念頭になく、韓国をうまく利用した、と思わせる日がくるかも知れない。

また、朴槿恵大統領が、歴史的真実を認めよ、と同じ言葉を繰り返すのは、保身のための歴代政権のパターン、これも日本を利用しているに過ぎないと思う。朴大統領していることは、ローマの衰退を招いた、パンとサーカスに似て民衆の要求するままに迎合しているのではないか、というよりむしろ助長しているように見えて、自国の明日を思っているとはとても思えない。つまりは、民衆に政治をゆだねているのと同じで、これから進む道はこっちですよ、と良きリーダーシップを発揮しているとは思えない。

不平が不平をよぶ永久回転は、つぎからつぎへと形を変えて満足することはない。それを消滅させるのは、自発性の他ならない。そもそも問題を解決しようとするなら、なぜに直接会って話しをしない。遠くから一方的な押しつけが通るはずがない。いまさら引くに引かれぬところ、素晴らしい思いつきがでてくるのだろうか。

 

 

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