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2015年4月 9日 (木)

非難は益ならず核心をそらす

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 過ちを認めたくなければ、もう感情で押し通すしかない。都合の悪いことは、論点をすり替えるか、ねつ造するしかない。米高校生用の教科書の、いわゆる慰安婦に関する事実と異なる内容の記載に、日本が抗議した。それに対し、米歴史学者十九人は、その根拠を示さず、つぎのように反論しました。

日本が教科書の記載を削除させようとしている。過激派が、ジャーナリストや学者を脅迫し、威嚇している。われわれは出版社や歴史家に圧力をかけ、その研究成果を書き換えさせようとする動きに反対する。と述べ、「史実は確立している」、という意味不明のひと言で、保身と威圧、敵対行動をあらわしました。これは、間違いを指摘されたことへの感情という反作用であり、たくみに論点を変えようとするごまかしだと思います。

これに対し、日本の歴史学者十九名が連名で、マグロウヒル社に対して事実誤認を指摘し、自発的な是正をうながしました。それはつぎのようなものでした。米歴史学者が根拠にあげた、ただ一人実名で名指しされた吉見教授は、強制連行の証拠はない、としていること。二十万人は、実状に不整合で、矛盾していること。天皇に対する記述は、あまりに非礼であること。慰安婦の出身国の多数を占めたのは、朝鮮、中国の人たちではなく日本人であること。慰安婦は戦闘地域ではなく後方の安全な場所にいたこと。多数の慰安婦を殺害したというなら、その証拠がなければならないこと。

など歴史の事実のみを述べるにとどめ、米側への感情的な非難は一切していません。この主張が正しいと信じるものですが、そうだとすると、米側の教科書への掲載は、単に物語としておもしろい、他人の悪口は蜜の味がしたということではないか、と思うのです。

議論をする場合、大切なことは、問題の核心について考えることであります。ここに、相手を非難することは、何の益にもならず問題の存在からかけ離れていく、という日本の歴史学者の矜持が出ています。

核心を見ずに、語気を強めて相手を非難をするのであれば、それは、逆上というもの、その歴史学者の堕落といってもいいかも知れません。核心は何か、ということでいえば、いま日本の中で、国と沖縄が対立することは、なんとか避けて欲しいところであります。


日米のそれぞれの学者十九名の反論内容は、雑誌 will 2015 5月号から概要を引用しました。

 

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