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2015年5月19日 (火)

責任をはたす時代

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 すべてを肯定すれば、ひとそれぞれに生き生きとしている。たとえ思い込みや偏りがあろうとも、すべてを寄せ集めてみれば、その平均値が安定をもたらしている。いま時代は、一部にあやふやな歴史知識に引きずられる序列と覇権の抗争があるものの、流れは太平洋の安定への願いを目指す方向へと、変わりつつあるようにみえます。

その普遍的価値をもつ世界のリーダーの一員として日本への役割が期待されているのではないかと思います。好ましい影響を与える実力が期待されている。権勢をふるうのでなく、世界共通の平和を心から願い、悪しきものには、ひるまずに正す、そういう日本は正しい国だと、言われるような行動をしていく、そうすることによって、責任をはたす時代がいまきたと思います。

抗争に巻き込まれるとか、時代に逆行するとか、内向きで小心な悲観論もありますが、求められるのは、自分だけが安泰であればよい、ということではなく世界のことを考えているという姿勢と責任感を示すことだと思います。

そういう中で、自国だけの情緒のままに生き、日本を糾弾する決議をした韓国という国があることは悩ましいです。それしかないの、言いたいですが、彼らの情念と性であるなら、それも肯定するよりないです。菅官房長官は、「友好国の首相を名指しする形で決議を行うことは非礼と言わざるを得ない。全く受け入れることはできない」と反論しましたが、親しき仲にも礼儀あり、というまことに日本ならでの発想ではないでしょうか。

相手に伝わったかどうか、はなはだ疑問であります。小中華の流れにある彼らの礼儀というのは、序列の上になりたっており、彼らの下位に対しては、まったく礼儀を知らない。むしろ上下の差をみせつけようとする。その意味で、かれらに対して非礼という言葉のインパクトは、おそらくまったくないと思います。世界も同様に、かえって、悪くすると高慢ととられ逆効果だったかも知れないです。非礼というよりは、知性をわすれた侮辱であり非常識な行動だと思うのであります。

 

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