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2015年5月27日 (水)

言葉の不合理

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 因果というか、必然というか、よくも悪くも経験は自ずと言葉にあらわれる。不運はわが身と人をあざむき、保身に走る。言葉は、その身の不実を跳ね返すために、脅迫観念となって相手に投げつずにはいられない。

中韓にはつくづく疲れる。一つには、彼らの言葉そのものが、矛盾しているからだ。筋の通らない不合理は、生理的に受け入れ難い。二階自民党総務会長との面会に先立ち、習近平国家主席は、「日本軍拡主義を歪曲、美化しようとするいかなる言動も、中国人民とアジア被害国の人民は決して許さない」と述べ、日本人の心を威圧した。もとより日本は、軍拡主義ではなく、誇示もしないから、それは間違っている。

いま歴史をふりかへり、来し方をじっくりながめて、損得勘定をしてみれば、中韓をはじめアジア諸国には、夜明けが訪れ、おおきなプラスをもたらして今がある。中国も韓国も、高い空から見下ろせば、もはや被害国とは言い難い。習国家主席が言う、軍拡も歪曲も、そのまま中国自身のことを言っているに相違なく、言葉の不合理に疲れる。

二つには、決して許さない、という言葉に表れる独断と専横に飽き飽きする。その決めつけと聞く耳もたぬ、一方的な押しつけは、なんとかならないものか。それら、矛盾と押しつけは、結局、彼らの自法執着のいい加減さの結果であり、不まじめ、という一語につきる。韓国は、なんでもないことに、ひとり相撲をする。勝ったか、負けたか、にこだわる。もう話しにならない。不まじめそのもです。もう、よい加減になされよ。

 

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