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2015年5月12日 (火)

勢い余る惰性の結末

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 言わなければ分からない。言いたいことを自由にいえるということは、じつに大らかです。ものごとがはっきりと見えてきます。それはそれでいいのですが、その一方で、何かを非難するときは、おのずと節度をもって、論理と言葉は選ばれるべきではないかと思います。先ごろ護憲派の集会の様子を伝える報道によれば、みなが呼び捨てにして、安倍を引きずり下ろせ、という一点に焦点があつまったようです。

安倍は露骨なうそいう、憲法を壊し、言論を貶め、戦後史をないがしろしている、平和、命という言葉をあんなに汚くした、などなど、言いたい放題です。主催者発表で3万人集まったというのですが、群集に呼応する衝動というのはちょっと恐ろしいような気もします。自らの扇動に酔っているのか、集団的独善的悪口性愉悦症候群とでもいうような様相を感じます。デモに参加して熱中症に倒れたら安倍のせい、という自分勝手さはあきれます。

外に野望あるを感じず、自立も、国を守る必要性も感じないのであれば、その偏向もしかたない。安倍憎しで、広くものごとを見ることができないのであれば、極端なはなし、その判断の正当性は疑わしいです。つまり、賛否に票を投じるだけの資格は有しないのではないかと思います。

「明治日本の産業革命遺産」の登録の件も、韓国が、反対運動に躍起になっているようです。韓国の国会で、「人類の普遍的な価値を持つ遺産を保護するという世界遺産条約の精神に反している」と何だか精神だけが宙に浮いて、意味不明の批判していますが、これもおかしいでしょう。

世界遺産条約第12条は、概略つぎのような意味に読めます。「登録されることによって、保全されるメリット以外の点について、顕著な普遍的価値を有しないという意味に解してはならない」ということです。また、世界遺産条約採択40周年記会合では、「利己的で偏狭な利害を追求するのではなく、より大きな公益のために行動しなければなりません」という提言もあり、相互尊重と、寛容と熱意が、もとめられているのです。

日本憎しに、こりかたまって、条約の精神を解しえないのであれば、これもまた、有資格者かどうか疑わしいと思うのであります。

 

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