« 言葉の不合理 | トップページ | 行き過ぎた言葉 »

2015年6月 4日 (木)

純真さへの背信

150603a

 その言葉なかりせば、何ごとも平穏であったものを、ということはよくあるところ、一つの言葉にであうことが、良くも悪くも、人の一生をも決めてしまうほどに、言葉は魔性をおびることもあるのであります。こどものころに読んだ小川未明の童話「赤いろうそくと人魚」は、純真さへの憧憬の思いを深くし、感銘深いものがありました。その物語の悲しみの結末が問うものは何か、といつまでも心に残るのであります。

人間の住んでいる町は、美しいということだ。人間は、人情があってやさしいと聞いている。そして、かわいそうなものや、頼りないものは、けっしていじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。そう信じた人魚は、わが子が幸せになるように願って、人間の世界に赤ん坊を託すことにしたのであります。赤ん坊の人魚は、ろうそく屋の年より夫婦に拾われ、美しく育ちます。人魚はろうそくに絵を描きます。それは評判で、山の上のお宮さんに参る人々が、喜んで買っていくのでした。

あるとき、香具師がやってきて、その人魚を手にいれようとして、人魚は不吉でよくないことがおきると、言葉巧みに年寄り夫婦をだましたのでした。やさしい娘は、この家から離れて、幾百里も遠い、知らない国へゆくことをおそれました。そして、泣いて、年より夫婦に、わたしは、どんなにでも働きますから、どうぞ売られてゆくことは、許してくださいまし、といいました。けれども、香具師の言葉を信じて、ひとが変わってしまった年より夫婦は聞き入れません。

人魚は鉄格子の檻に入れられて行くのでした。ところが、香具師の船は暴風雨に襲われます。それからというもの、不思議なことに山の上のお宮さんに、赤いろうそくが灯っていることがありました。それを見たものは災難にあい、海におぼれて死んだのであります。幾年もたたず、ふもとの町はなくなったということであります。

ここに、私情にかられた、まことしやかな言葉は、道を外れるのでありまして、ほんとうに罪深いとうことであります。いまの世に、思いあたることが、いくつも浮かんでくるのではありますが、それぞれに永い時の流れに、自ら気づいて変わる、そういうことになるのは、いつとは知れないと思うのであります。

 

|

« 言葉の不合理 | トップページ | 行き過ぎた言葉 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/61688950

この記事へのトラックバック一覧です: 純真さへの背信:

« 言葉の不合理 | トップページ | 行き過ぎた言葉 »