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2015年6月11日 (木)

行き過ぎた言葉

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 おそらくですが、いまの豊かなくらしが、根底からひっくり返るような危機は、やってこないだろうと思います。これは武力行使の歯止めとなる新3要件のひとつ、とてもきびしいものです。もしそれが現実であったなら、それこそ一大事です。確かな自立が、理不尽によって脅かされるわけですから、なんとか、そうならないようにしなければなりません。

安保法案の論議がさかんです。まじめ一本やりの日本は、権力で動いている国とは思わないです。ですから、戦争になるということは、ありえないと思います。何を信じているかと言えば、行動を起こすのは日本人であり、日本人としてその日本人を信じるからです。戦争への道、というのは、自らの日本を信じていないからなのではないか、と思うのです。確固として戦争はしないのです。

しかしながら、われらの存立を守るためは、あざむくことによって野望をもつものに、戦争も辞さない、と思わせることが、防衛というものではないかと思うのです。その意味において、誇り得る憲法ともおもわないです。自主独立を守るためには、自衛というものが、その意思を示すための手段であり、普通の国に与えられた、普遍的価値をもつ最高の権利であろうと思います。

いま、国会周辺で行われる市民という名の組織されたデモは、戦争をさせない、というフレーズを波のように掲げていました。あまりにも短絡的であり、無責任きわまる気がします。挑発しているのはどこの国か。その言葉は、対象とする相手を間違えています。悪酒に酔いしれたように、そのフリップを掲げるデモ集団は、わざとねじ曲げた解釈で、大衆を煽動しようとするものであり、自己否定を増殖させるような、ヘイトスピーチにも劣らない悪質だと思います。

安保法案が、明白に違憲であると言えないと同様に、戦争をできる国、というフレーズもまた、行き過ぎた言葉であり、明白にそうとは言えないものがあります。それほどまで、この日本を信じることができないか。それが健全な日本人の姿だろうか。と思うのであります。

 

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