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2015年7月28日 (火)

調和した世界

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  素養なければピカソの絵の良さがわからないように、外交がからむ政治というものは、庶民にはわかりにくい。あわよくばと思っている諸国の心を読むのは高度な知識と経験が必要だ。人の心のやっかいなところは、自尊と先入観がじゃまして、素直なこころになりにくいことでしょうか。

信じる心には祝福がある。疑う心には呪詛がある。もし魂の影法師が映るものならば、鬼の姿でも映るのであろう。と倉田百三は、「出家とその弟子」の中で書いています。ものごとにはそれぞれの専門家があり,素人の及ぶところではなく、餅は餅やということであれば、ここは、餅やを信じていくべきか。聖人君子のようなひと、あるいは仏門にいる人は、何を信じているのだろうか。その人たちの見ている世界は、理想郷なのだろうか。それで道を説くのもよいだろう。それは私とあなたのような小空間なら充分意義がある。

けれども、異なる世界の餅やを信じないのであれば、影に鬼の姿が映るやもしれない。凡夫の身にはひとつの不協和音とも見えてしまうのですが、「出家とその弟子」の終章はつぎのことばで結ばれています。

 お前は仏様を信じるか。
 わたしの浅ましさ・・わかりません・・きめられません。
 おお。

 ・・・・・・

 それでよいのじゃ・・善い、調和した世界じゃ。


 もはやこときれあそばしました。

 

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