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2015年7月

2015年7月28日 (火)

調和した世界

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  素養なければピカソの絵の良さがわからないように、外交がからむ政治というものは、庶民にはわかりにくい。あわよくばと思っている諸国の心を読むのは高度な知識と経験が必要だ。人の心のやっかいなところは、自尊と先入観がじゃまして、素直なこころになりにくいことでしょうか。

信じる心には祝福がある。疑う心には呪詛がある。もし魂の影法師が映るものならば、鬼の姿でも映るのであろう。と倉田百三は、「出家とその弟子」の中で書いています。ものごとにはそれぞれの専門家があり,素人の及ぶところではなく、餅は餅やということであれば、ここは、餅やを信じていくべきか。聖人君子のようなひと、あるいは仏門にいる人は、何を信じているのだろうか。その人たちの見ている世界は、理想郷なのだろうか。それで道を説くのもよいだろう。それは私とあなたのような小空間なら充分意義がある。

けれども、異なる世界の餅やを信じないのであれば、影に鬼の姿が映るやもしれない。凡夫の身にはひとつの不協和音とも見えてしまうのですが、「出家とその弟子」の終章はつぎのことばで結ばれています。

 お前は仏様を信じるか。
 わたしの浅ましさ・・わかりません・・きめられません。
 おお。

 ・・・・・・

 それでよいのじゃ・・善い、調和した世界じゃ。


 もはやこときれあそばしました。

 

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2015年7月20日 (月)

活力を担うこの国の筋肉

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 やりたいことがふつふつと湧いてくるのね、ふつふつと。たとえていえば、オリンピックの年、わたし86になるけど、その時、聖火をもって走りたい。「サワコの朝」で眼を輝かせて語る女優の草笛光子さんは、背筋をピンとのばして、しかも物腰は軟らかく、若くて清々しいお姿でした。

大事なことは、一に筋肉、二に筋肉、三、四がなくて五にきんにく-!、とおっしゃる。女性にして意外な感じのこの言葉は、鍛錬のたまものを思わせ、同感です。筋肉がしっかりしていれば、すべての器官が正常に働き、すこやかでいられるのは確かだと思います。

いま安倍政権の支持率が下がったという報道がありますが、さもありなんです。かたよった考え方の、報道という権力の勝利といえると思います。人は人を理解するところに、喜びがあるはずを、独善に固執するものは、毒気をふくんで攻撃することしか知らない。メディアがそれをことさらに見せる。まるで何か悪いことをするようにきめている。

攻撃は、一見して正しく見えても、裏にある矛盾と欠点を隠してしまう。国を人にたとえれば、政権は筋肉であり、大衆は血液であり、そして歴史と文化が骨格を作り上げるとでもいえましょうか。いまの政権という筋肉は、活力を支える責任を負って、しなやかでしっかりしていると思います。

わすれるべきでないのは、中国が根拠もなく、尖閣を自国の領土として領海法に明記したという事実(1992年)です。その無法ぶりです。わがもの顔にわが領海をあちこち動き回って、時期をうかがっている。そこに漁民の平和はない。時代遅れで秩序を乱すものに、正しいものは何かを示さねばなりません。この国の自らの筋肉と血液を信じれば、前途は明るいと思います。

 

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2015年7月14日 (火)

歴史の大地に根を下ろすということ

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 人は正しい行動をすることで正しくなり、勇敢な行動をとることで勇敢になる。打算と日和見の中にいれば、おそらく、節度も道徳も育たず、進取の気概も身につかないに違いないです。日本は韓国を友好国として、最も重要な隣国としていますが、その韓国は反日を国是としているのであり、まるでブラックユーモアのようです。

明治日本の産業革命遺産の成り立ちと、その後の徴用とは何の関係もないにもかかわらず、言いがかりをつける韓国です。その反日は、いまだ成長していない子供の反抗心を思わせます。朴正煕元大統領は、「わが半万年の歴史は、沈滞の連鎖史であった」と言ったということですが、永くもろもろのつらい思いをしてきた歴史の中で、屈折した感情が、理屈に合わないことを言わせて反抗している。

イザベラ・バードは、「朝鮮紀行」の中の最後の章で、「朝鮮にはその内部からみずから改革する能力がないので、外部から改革させねばならない」、と改革が必要であると言っています。しかしながら、35年を要しても、外部からの改革も限界があり、結局のところ自ら改革に芽生えない限り身につかないということが分かってきたのです。かれらの反日が日本への反抗心からきているなら、それは自立することの厳しさを知らない、甘えというものです。

問題は、外にあるのではなく、彼らの内にあると気づくべきです。しっかりと歴史の中に立って大地に根をおろしていれば、自ずと文化が育ってくるものを、それをなしえず、いまだに日本の悪口ばかりさがしているようでは、仕方がないです。結局のところ、韓国は根なし草なのか、それでは、年輪がそだつはずもないとおもうのです。

 

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2015年7月 6日 (月)

無情のつむじ風

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 江戸時代の萩の城下町からはじまる明治日本の産業革命を成し遂げた先人たちは、熱い探究心と夢を持っていたに違いない。その新しい風を呼び起こした英知と労苦に、感謝するとともに誇りに思います。やっと世界文化遺産への登録がなって、よろこばしいかぎりです。

いまは飽食の時代、力のやり場を求めて闘争に走るものは、安保闘争から成田闘争へ、そして新たなる闘争の場をもとめて、けがれを知らぬ、青い海の沖縄にやってきた。それが沖縄の教育現場であり、基地闘争に走るものたちがいる。日本人だけでなく中国や韓国、その他海外からの人たちも混じっているという。それに肩入れする沖縄の新聞の二紙は、先人の名誉をけがし、無情のつむじ風を吹かせる。

日本軍が悪かった、民は悪く無かった、という二分法は、もともとは中国の工作、洗脳であり、日本人に贖罪意識をもたせることが目的であることがわかっている。その意に沿うような報道をする二紙は、その立脚点がまちがっている。沖縄タイムスの編集局長は、世論を動かしているのではなく、世論に突き動かされて報道している、といっていますが、その世論と称する大きな声というものは、あやしげなもので、かならずしも民意であるはずはない。

ものごとには裏がある。ただ闘争することが目的であり結果を問わないものたちに、民がだまされているとしたら、これほど嘆かわしいことはない。闘争するものが本心をあかさず、底にあるものは平和の名を借りて、善良な民をも巻き込んで、日本の弱体化をもくろむことにあるとすれば,信じることのむなしさがただよう。

二紙はつぶさなあかん、という民の声は、馬の耳に念仏か、それとも、つぶさなあかんほどに、広く知られてしまったことで、内心わずかに恥じるものがよぎるのであろうか。二紙の会見をみる限り、相手を非難するだけで、それはなさそうだ。

 

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