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2015年9月 1日 (火)

新しい感覚への誘い

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 反省とおわびを前面にだせば、和解がなり、関係改善がなるかと言えば、それは否でありましょう。安倍首相の70年談話は、「中韓との関係改善のきっかけにはならない」、と河野洋平氏は批判しますが、はたしてそうでしょうか。

70年談話は、過去の道のりをたどり、自らの進むべき道をしめしたものでした。それは、そのままある程度普遍的なものとして、他の国の進むべき道をも示唆するものでした。戦後レジームからの脱却という言葉を唱えるかぎり、いつまでたってもそこから抜けだすことはできないのと同じように、おわびの言葉を新たにしても、春のラッパが鳴り渡ることはないでありましょう。

かれらが悦に入るための伝家の宝刀と思っているかぎり、それを手放すことはないからです。十年一日のごとくのその言葉は、思考を停止して、ものごとを多様にみる余裕も生まれはしない。侵略とか謝罪とかそのような単純化された言葉にこだわるかぎり、道はひらけるどころか、自分はおろか相手までも、気風はすたれ健全な精神がくずれて行くにちがいないです。

70年は、もう永過ぎる時間が流れたのです。70年談話は、それと意識しなくても、何かが変わりつつある、と心の底に残るものでした。そういう意味で、あたらしい感覚であり、目覚めを誘い、関係改善を促すきっかけにもなるものだったと思います。それなのに河野氏は何をみているのか。民主党岡田代表は、「歴史の事実を直視し、自らの過ちを率直に省みる謙虚な姿勢で、アジアの国々との信頼関係に基づく外交を前に進めていくべき」、といっています。

信頼関係に基づくといっても、信頼は、価値の共有がなければ、いとも簡単にくずされる。そして、歴史の直視というものは、いまやその場に立つことかなわず、歴史の立て直しや、歴史の歪曲と隠蔽をいとわないもの、あるいは見たいもののまぼろしを見るものに、あちらとこちらで、同じ景色をみることは不可能といっていい。だれが直視できると言い得るはずもない。

かれらに迎合するは、それはかれらを軽く見ているに等しい。河野氏や岡田氏が、ほんとうに中国や韓国のことを思うなら、気にいられようとすることをやめて、もっと親身になって、多様なるアジア諸国の新しい流れに気づくよう、新しい言葉をえらぶきだ、と思うのであります。

 

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