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2015年10月14日 (水)

虚像の記憶

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 つくられた歴史的事件は虚像であり、史実ではありえない。必然とした確かな土台がなく、曖昧模糊として視界不良の中に立てられた虚像は、実体がない悲しさに、いつか崩れ落ちる運命にある。一つまた一つと事実を拾い集めてみれば、虚像があきらかになり、史実として定まることはありえない。だからしっかりと胸を張っていることが肝心だ。

ユネスコの世界記憶遺産として登録される、いわゆる、南京大虐殺というものは、彼らのプロパガンダであることが知れている。プロパガンダは策略であり、そのはかりごとは、誇張と虚偽に満ちている。その地において、双方が衝突する激戦はなかったことは明白で、力の差ははっきりしていた。規律をもった兵士たちに、必要もないのに、うらみのない市民への大量殺りくなどあろうはずもない。兵士たちに武士道の精神への共鳴はそれと意識しなくても流れている。中華の歴史の記憶のなかにかれらが想起するものがあったとしても、日本人にはそのような無益に殲滅するような因襲も発想もない。

多くの写真が証拠としてだされたという。しかし、写真というものはただの画像であり、多くを語らない。キャプションはいかようにもなる。多くの写真は日本に多数あり、複製も加工もいくらでもできることから、古文献なら知らず、写真は記憶遺産に値しない。証拠にもなりえない。

ユネスコに提出されて証拠資料を政府として見ることができない、ということであれば、その信憑性は確かなものとも思えない。事実でないことで貶められることは、われらの矜持にはげしく触れ、抑えがたいものがある。

大事なことは、一寸たりともひるまないことであろう。政府は史実かどうかに疑問を呈するが、中国を非難することはない。一方、中国は、脅迫する言論、誤った歴史観を暴露した、などと日本への攻撃に、論点のすり替えをする。まどわされてその手にのってはいけない。政治問題化して人心をかく乱するのは、彼らの常套手段、かれらの思うつぼだ。

 

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