« 声は大きいけれど | トップページ | 型破りの日本の断面 »

2015年11月16日 (月)

のびやかな風土

1511019a

 

 悠久の歴史の流れによって醸成されてきた文化が異なれば、正しいと信じるものも違ってくる。よって立つ位置もそれぞれに異なってくる。いま世界は広くなってきて、悪は必ずしも悪ならず、善もまた善と定まるはずもないと知れてきた。つまり善も悪も、客観的基準は人それぞれであり、価値の重さが変わりうる。

韓国の国民が納得するように解決せよ、という朴槿恵大統領の言葉も、自分の価値観を他人におしつけて、不遜というか、無知というか、ともに社会に生きる身でありながら、いわれのない日本への断罪をせまる。非融和的な姿はみるにたえないです。中国の国家主席と台湾総統の会談において、融和を演出したと伝えられますが、これも何か心おだやかではいられない気がします。

その台湾は親日国であり、中国も韓国も反日を隠さない。なぜに韓国と台湾はこうも違うのかといわれます。その違いは、台湾は日本が去ったあとにやってきた、国民党との落差があまりにも大きかったためということもあるでしょうが、日本も台湾も彼らと異なるのは、ともに純粋培養によって文化を育ててきたということではないでしょうか。共に島国であり、ながくひとつの共同体の中で生きてきた。あまり汚れを知らない純朴さとでもいいましょうか、そういう人の心への思いやりなどの価値観として合い通じるものがあるのでありましょう。

ブータン王国もしかりです。もともとは秘境といわれるところで、国民性は日本に似ている。なにごとも適度な距離が必要なのかもしれません。そういう外からおびやかされることない世界では、自然とのびやかな風土が生まれる。それが見えてくれば、信はおのずと生じるのでありまして、それが日本と台湾をお互いに引き寄せているのではないかと思います。

 

|

« 声は大きいけれど | トップページ | 型破りの日本の断面 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/62684437

この記事へのトラックバック一覧です: のびやかな風土:

« 声は大きいけれど | トップページ | 型破りの日本の断面 »