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2015年12月

2015年12月26日 (土)

降りかかる試練も捨てがたい

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 馬は、人馬一体となって行動するとき、喜びを感じるのではないだろうか。犬も然り、猫もそう。盆栽だって、愛でられることによって幸せなのだろうと思う。人間、ひとりでは何ほどのこともできず、人の自由はどこか味気ない。まあ、気ままなのもいいけれど、その分、伸びるということがない気がする。やはり、見てくれるものがあって、壁にあたればこそ、乗り越えるよろこびもある。ことしも試練はいろいろあったけれど、試練はくる年もあるぞかし。

 

 

 

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2015年12月19日 (土)

個の行き過ぎは抑制を失う

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 ふたりが結ばれて同姓を名乗ることは、家族を得たという大きな喜びと利益がある。互いに責任と信用が増すのは確かだと思う。それが日本では普通のことだと思う。その一方で、夫婦同姓は違憲と判断する裁判官は、名字を変えることは不利益が発生する。自己喪失感という負担を負うことになる。とマイナス面だけのべていますが、それがプラス面にくらべてどれだけのものか、よく分かりません。

自由は自ずと制限されることもあって、勝手気ままが許されるはずもないです。悲しみも喜びもあればこそ人生であり、個人の意義を立てる行き過ぎは、抑制というものを失って、やがては危険なことになりはしなか、逆に、健全なるものを損なうことにも成りかねないと思います。独立したその家が大切なのであり、もはや実家は生まれた家でしかないです。旧姓のままにするかどうかは、個人の自由に任せた方がいいとは必ずしも言い切れないものがあります。もし同姓という習慣に慣れていないのであれば、郷に入っては郷に従うであり、それに溶け込んでもらいたいと思うのですが。

それにしても裁判というのは、何かなじめないものがあります。結果が出てみなければわからないからです。人間は不完全性をもつと言われますが、裁判官は完全なるものに変わって判断するわけで、そのでてきた判決文をよんでみれば、結局、裁判というのは、裁判官の、こういう結論にしたいというひとつの論考にほかならない、と思えてしまう。それにごく少数の訴えが、大多数に否応なく影響を与えることもあるわけで、何か世の中は不平等のように感じられることがないわけでもないです。

 

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2015年12月10日 (木)

世界は大きな力で動いている

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 憂きはお互ひの世におもふこと多し、と樋口一葉は、小説「十三夜」の終わりに書いています。この言葉は、世のつらい風あたりの中で、先のことは考えるほどに答えはでてこない。それでもひとつおとなになって、流れにまかせて乗り切っていく覚悟ができたことを思わせます。

「アベ政治を許さない」・・・この言葉は、ものを書く女性のものとはとても思えないです。精神の修養も心の豊かさも感じられないです。まして、おかしみや哀愁も理性も見あたらない。あるのは攻撃性の一念であり、怨念というか呪詛というか、一途に凝り固まって、抜け道のない絶望感であり、解放感はどこにもないのです。

それに、思い上がりと自我の押しつけがありありとしています。この言葉が持てはやされることは、多様性の否定するものであり、個人主義の行き過ぎを助長する風潮をまねくことがあっても、世の中を明るくするにはほど遠いと言葉だと思います。

かれらが言う「アベ政治を許さない」というのは、ことさらに未来を悪く予測した悲観論であり、予測というものは確かなものとはいえない。世界は大きな力で動いている。そこには深い洞察が求められるはずを、仮想に立った悲観論を前提としていること、それ自体、間違っているのではないか、と思うのであります。

 

 

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2015年12月 4日 (金)

邪心と純情いずれが勝つか

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 まもるべきは真っすぐな心持ちであって、邪心は追い払わなければならない。そうでないと、邪心が邪心をよぶ悪循環に落ち、世は乱れ、ぬかるみばかりになる。足を取られ容易にぬけだせないありさまとなる。中国のメディア、環球網は、日本がASEAN諸国に期待を抱いていると見て、そんなにうまくは行かないと揶揄し、「日本は実に純情」と書いた。強がりの言葉の裏に日本に対する狼狽がみえる。

純情とは、自らに忠実であり、竹を割ったように、真っすぐな気立てをいう。それはさわやかで、曲がったことがきらい、よこしまなことには染まらない。純情には、透明な水が流れているのであって、ちょっとやそっとでは、外から汚されることはないのであります。

純情を笑わば笑え、はるかなる洋上を埋め立てわがものにするなど、あれを見よ、よこしまな心のあかしと、言われ続ける哀れなる姿をさらすことになる。悪銭身につかずのたとえ、自業自得、誰も助けはしない。策を弄して打算に走るものの心は、だたその行く末を憐れむべし、と思うのであります。台湾で日本精神といえば、「勤勉で正直で約束を守る」ことを意味するそうです。その対義語は、中国式とか、そういってしまえば、身も蓋もないですが、いつに日にか、さわやかになってくだされと願うばかりであります。

 

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