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2015年12月19日 (土)

個の行き過ぎは抑制を失う

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 ふたりが結ばれて同姓を名乗ることは、家族を得たという大きな喜びと利益がある。互いに責任と信用が増すのは確かだと思う。それが日本では普通のことだと思う。その一方で、夫婦同姓は違憲と判断する裁判官は、名字を変えることは不利益が発生する。自己喪失感という負担を負うことになる。とマイナス面だけのべていますが、それがプラス面にくらべてどれだけのものか、よく分かりません。

自由は自ずと制限されることもあって、勝手気ままが許されるはずもないです。悲しみも喜びもあればこそ人生であり、個人の意義を立てる行き過ぎは、抑制というものを失って、やがては危険なことになりはしなか、逆に、健全なるものを損なうことにも成りかねないと思います。独立したその家が大切なのであり、もはや実家は生まれた家でしかないです。旧姓のままにするかどうかは、個人の自由に任せた方がいいとは必ずしも言い切れないものがあります。もし同姓という習慣に慣れていないのであれば、郷に入っては郷に従うであり、それに溶け込んでもらいたいと思うのですが。

それにしても裁判というのは、何かなじめないものがあります。結果が出てみなければわからないからです。人間は不完全性をもつと言われますが、裁判官は完全なるものに変わって判断するわけで、そのでてきた判決文をよんでみれば、結局、裁判というのは、裁判官の、こういう結論にしたいというひとつの論考にほかならない、と思えてしまう。それにごく少数の訴えが、大多数に否応なく影響を与えることもあるわけで、何か世の中は不平等のように感じられることがないわけでもないです。

 

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