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2016年2月 5日 (金)

教養と知性と地下水脈

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 言葉は一瞬にして風にながされていく、いま見たテレビでなんといったのか、数分後にはもう思いだせないことがあります。毒舌俳句先生とよばれる番組のなるほどと思った俳句も、うろ覚えで今日は定かではない。毒舌といわれながらもご本人はいたってまじめです。いいものはいい、悪いものは悪い、のだと意に介さない。当意即妙にしてときに辛辣、ものの見方と感じ方の機微を、ほれここに、とつまにあげてみせる。その意表をつく新鮮さが面白い。

しかしながら凡夫の身には、今日はあれは何だったのか思いだせない。言葉は、すでになかったようにこの身から消えている。世の中は、それでも時に、何か気になる言葉に触れることもある。任期満了で市長を辞した人をさして、「彼は教養と知性がない」、という女性評論家がいました。奥ゆかしさが感じられないという程度のことかもしれませんが、くそばばあと返すようでは負けている。

はっとしてちょっと考えさせられる言葉でした。では教養とは何か、知性とは何か、と自問しても漠として言葉がでてこないのです。教養とは、時間の産物であるなら、長い年月によってぽたりぽたりと溜まってできた地下水脈のようなものでしょうか。知性とは、人に作用して意味をもつものなら、湧水となって出てくる清水のようなものでしょうか。地下水脈があってはじめて湧水となる。清水であればこそ汚れを洗い落とすこともできる。知性は清水かも知れません。それがあればひと息つぐこともできる。命そのものかもしれません。

 

 

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