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2016年3月17日 (木)

友か敵かもない

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 友というのは、空間的な距離のことか、感情をともなう心理的距離のことだろうか。唱歌ふるさとには、いかにいます父母、つつがなしや友がき、と唄われています。父も母もそして友も、遠くに離れて、そこに達者で居ればこそ、思いをはせ生きるよすがとなるのでありましょう。友がきという言葉は、いまは使わないですが、どこか床しく、親しみを込めてそう呼ばれるのでありましょう。

中国の全人代における記者会見で、中国の王外相は、日本の指導者は、中国に面倒を与え続けていると批判し、日本は結局のところ中国を、友とするのか、敵とするのか、とのべたということです。

友というのは、個人のお互いにそなわった品性を信頼するが上に成り立つのであって、国家間ではそうはいかない。さらにいえば、われらは日常、あからさまに敵という言葉は、つかわない。

尖閣は、日本領とする確かなシナの公文書(海難救助の感謝状)もある。シナ発行の古地図もある。歴史ねつ造でことあるごとに、敵対する言葉を使いながら、友か、敵か、もないものだ。その言葉自体、品位のかけらもないおどしの文句でしかない。それでひるむと思ったらそれは間違いだ。

友だちに入れて欲しいと思うなら、入れてあげてもいいけどね。友達にもいろいろあるよ。いい友達もある。悪い友だちもあるよ。どちらの方に入れて欲しいの?・・・。

 

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