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2016年3月 9日 (水)

疑問をはさむ余地あり

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 思いの中で過ぎ去った事実は、日に日に薄れてゆく。多様なものがいつの間にか、欲するものの都合のいいように、一様な概念にすり替えられていくことがある。それはおそらく真理の道を外すことになるのではないだろうか。客観性と多様な事実を重視し、ものごとを解きほぐしていく考えが、人々に良い作用を及ぼす。

それが知性というものだとすれば、このたびの、国連の女子差別撤廃委員会が、いわゆる慰安婦のことで、日本に発した勧告は、知性というものが感じられない。まったく、同委員会が欲するままに、国連の威をかりて、国連の名において、国連自らが、日本全体への人権侵害をしかけているように、私には感じられる。迷惑このうえなくわれら精神に突き刺さる。

その勧告は、軍隊による深刻な人権侵害であり被害者に影響を与え続けている。したがって、疑問をはさむ余地なく賠償をせよ。教科書に記載せよ。そして、次回の定期報告においてその結果を報告せよ。と高圧的に言う。客観性はどこにある。被害者、人権侵害、と断定するが、ほんとうに被害者なのか、人権侵害があるのか。

人権侵害という言葉を頻繁に使って、そう思い込ませるプロパガンダを、国策としてきたのはだれか。つまり、同胞である慰安婦の人たちを貶めているのは、そのプロパガンダそのものではなかったか。

国連がそれに与するのであれば、信も威厳も地に落ちたと思う。もちろん国連に歴史を裁く権利はないと自覚し、「被害者に影響を与え続けている」、という言葉で現在の問題だ、と正当化している。なんという自分勝手なことだろうか。

 

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