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2016年4月 3日 (日)

今に生きている友好の証し

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 さくらは雄大にして優美、何よりも他の花と違うところは、しおれることがありません。いま不意に一陣の風くれば、花のさかりに散り散りに枝からはなれ宙を舞うのです。見るものの惜しむこころも知らぬげに、一瞬にして高く低く春の風に流される。ひらひらと散ってまで地面を明くるく敷きつめる。千変万化の見ごとさ、人はその風情の潔さにこころひかれるのでございましょう。

エリザ・R・シドモアは日本にやってきて、さくらを米国人に見せたいと思い、それが後にポトマックの桜としてかなったのでした。シドモアは、在横浜米国総領事代理の妹です。明治17年はじめて横浜の土を踏んだのでした。そしてこよなく日本を好きになった。その人となりは、勲六等宝冠章の外務省の上奏文に残されております。

広く東亜諸国を漫遊し、よくその人情風俗に通じ、本邦支那および印度等に関する著書数種を出し、そのほか時々新聞雑誌等に寄稿して、東亜諸国に事情特に本邦の文明風俗を英米の読書社会に紹介せること少なからず、殊に米国に於いては有数なる日本通の一人として承認せらるのみならず、平素誠心誠意日本の良友を以て自ら任じ、日露戦役中の如きは、帝国政府の政策または帝国民の声価を損なうが如き記事の新聞紙上等に表するに於いては、自ら進みて之が弁護の労を執り、社交上相当の地位を有するが故に其の交際上の関係を利用して、大いに本邦の為の利益を与えるたること少なからず、其の功労顕著なるを以て・・・。

と、これは明治41年のことでありました。兄のジョージ・H・シドモアは、ヨット25隻を有するヨットクラブの長であり、銚子、館山、小笠原、下田、伊勢沿岸まで寄港の許可願いを外務省にだしています。かれの艇の名前は、ヤマトダマシイ号と記録にあります。英語名ではなく和名で名づけたところに、この国への造詣の深さが偲ばれるのでございます。

青い海原をゆく白い帆、男たちが懸命に操船している、いくつかの艇が互いに競い合う、静かで生気みなぎる時間が流れていた。遠くそんなことが目に浮かんでくるのでございます。シドモアは、いま母と兄とともに横浜の外人墓地に眠る。その傍らには、ワシントンから里帰りした桜が咲いている。その名はシドモア桜としていまに生きているのであります。

 

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