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2016年4月17日 (日)

明日という日を

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 誰しも人生のよろこびは、ひとの存在に負うところがおおきい、おそらく孤独のなかではありえない。日々、情はひとの心に通うものであり、ひとの存在そのものが、そこにあるべきものとして期待されるとき、情はひとの心に生きる力をあたえる。それほどにひとの存在は、たとえ見ず知らずであっても、ひとしく尊いことには変わりないです。

何のいたずらか、不意に襲われた熊本の地震で多くのひとが亡くなられました。ただただ、心いたむばかりです。きょうは相模川の河原の林のなかで、道すがらうぐいすがしきりに鳴いていました。やがて南から、つばめもやってくる。これから木々の緑も増すことでしょう。それは変わりないことでしょうが、だれにもそういう明日という日が約束されていたはずなのに、運命のいたずらは、ときに言いようもない恐怖と難儀を与える。かろうじて難を逃れ得たひとびとの上にもまだつづくらし、突然に、それぞれに思わぬ道をあゆむことを、余儀なくされる哀しみの涙はいかばかりか。罹災された方々のことに、思いをいたすところ余りあるものがあります。日夜、懸命に救助・支援活動されている方々、ありがとうございます。なんとか被害を少なく、そして元の日々にもどられますよう願うばかりです。

 

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