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2016年5月13日 (金)

感謝の気持ちを忘れない

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 しなやかで優美、感受性が高く自己顕示欲がつよい。名前は、マハシャイ・マミオ。タイで一目で気にいってつれてきた。向田邦子が可愛がっていたねこは、ひとつの部屋をあたえられていました。突然、あるじを失って、思慕の情と忠誠心が、いっそうつのるのでした。向田和子さんによれば、悲しみから、だれも受けつけなくなった、そして四十九日が過ぎたころ、部屋中をぐるぐると走りまわる姿が、不憫だったと話されています。思い出しても涙がでると。

そのときまで、マミオはあるじの姿が見えていたのでありましょう。でもそのひとは、行ってしまったのでした。そして、和子さんはわたしが主人なのだ、と懇々といいきかせて、やっとわかってもらったということです。向田邦子さんは、身は亡くなっても、あまりに急な変化は受け入れ難く、気がかりで、しばらくそこにとどまって、見ていたのでありましょう。

「正論」六月号の石原慎太郎さんの一文で知ったのですが、東日本大震災のあった初夏のころのの、タクシー運転手のはなしは、ひとの思いというものの美しさを感じます。大震災の日の東北は、雪のちらちらと降る日でした。数か月をすぎて、幾人かの運転手の体験談によれば、初夏だというのに、その客は冬着のままでした。そのときそのときに、出会ったお客の言葉を聞くとき、胸をつかれるものがあります。それぞれに、

 ・・・ 「南浜まで」「わたしは死んだのですか・・」。

 ・・・ 「彼女は元気だろうか」「彼女は・・」。

 ・・・ 「ひとりぼっちなの」「おじさんありがとう」。

などなど、そして振り向くと、そこにはいなかったということです。短い言葉に、ひとの思いというもの美しさがみえます。そこに現れたひとたちは、みな純粋に行きたいところがあってタクシーに乗ったのでした。その心に宿るものの優しさがみえるような気がします。この話しは、東北学院大学で編纂された「呼び覚まされる霊性の震災学」という本に書かれているということです。

石原慎太郎さんは、「いずれにせよこの貴重な報告はより多くの、いや全ての人間たちによって共有されるべきものに違いないと思う」、と書いています。すべて、帰らぬ人たちは、後世への思いをのこしていかれるのしょうから、逝ったひとたちへのなぐさめよりも、大切なことは、彼ら彼女らがいてくれたことへの、感謝のきもちをわすれないことではないか、と思うのです。すべての帰らぬ人となった人たちに、感謝のきもちをもつ。それだけでいいのではないかと思います。

 

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