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2016年5月24日 (火)

要求よりも期待を担って

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 持ちつ持たれつまあ仲良くやってきた。日本とアメリカは、これまで経済であれ技術であれあるいは文化の面でも同じ価値観をもって交流してきました。それは少なからず、いまの互いの繁栄をもたらしたのは確かでありましょう。経済力は、1位、2位を占めていたこともありました。仲のよい友だちといっていいと思います。

オバマ大統領は、謝罪すべき、という人もいますが、それは少数でしょう。70年が過ぎたのです。招待した友だちにむかって、何代も前のこと、あの時ことを謝罪して欲しい、というのもいまさら、おとなげない気もするのでございます。だまっていては、日本は原爆を不当と思っていない、と誤解される、という人もいますが、ひろしまとながさきという都市で起きたことは、世界が知っています。それをどう受けとめるかは、それぞれでありましょう。

言葉はちょっと気をつけないといけないかも知れませんが、謝罪というのは、いや応なく上と下に分けてしまいます。謝罪というものは言われても、むなしいものです。謝罪は要求するものではなく、それとなく時間をかけて受け入れるものでありましょうか。そして次第に自ら浄化されていくものでございましょう。

いまや世界は、パワーだけでは進めない時代になりつつある気がします。こんなところに日本人が、という番組がありますが、歴史と伝統に培った価値観が、かれらをそうさせているのでしょうか。それを見ながら、もしかしたら、かれらが、トップランナーかも知れないと思うのでございます。だとしたら、いずれ答えはでてくるでありましょう。だから期待にそうようにそれぞれが、日本人らしく進めば大丈夫、と思うのでございます。

 

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