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2016年6月16日 (木)

歌は人生のリフレッシュ

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 人は歌にふれるとき、しみじみと心に感じることがあります。それはなぜでしょうか。人は何かに押し流されるように生きていて、ふとわれに返ったとき、元の自分に呼び覚まそうとして歌をもとめるのかもしれません。それは、たぶん無意識に変化をもとめているのかも知れません。よろこびや悲しみの情だったり、あるいは人生へのあこがれのようなものだったりします。その歌がもっている美しい言葉と旋律が、心にひびき、日常のけがれを流して清浄なこころにしてくれます。

美空ひばりの幻の映画フィルムが発見されたというニュースがありました。「南海の情火」という映画の中で、のど自慢大会のシーンで「涙の紅バラ」を唄っているということです。ひばり十二歳のことでした。涙の紅バラは、哀しい別れの歌ですが、第三者に身をおいて唄っているので、なぐさめとはげましの歌、あるいは人生訓のようでもあり、聴けば共感をよんでその仮想の中に浸ることができます。

哀しい歌ではありますが、ひばりの唄い方は軽快で、朗々として高らかで、絶叫するような高音がよくのびます。だから、この歌は、人生の応援歌のようにもきこえるのです。その歌声ののびやかさが、聞くものを勇気づけるのです。

 泣いたとて泣いて見たとて、散ってしまった花ならば、ふたたび枝に咲きはせぬ、あせてしおれた紅バラを、胸でほぐしてきょうも泣く。 泣いたとて泣いて見たとて白い夜霧か想い出は、はかなく遠く消えてゆく、・・・・

悲しい歌が必ずしも人の心を暗くするわけではありません。ままにならぬが浮世のつね、ときにはその中で人生の何かを思い、ともすればすさむ心を、ひたひたとしずめてくれのであります。そして、さわやかな気分にしてくれるのでございます。
涙の紅バラ 奥野椰子夫作詞、仁木他喜雄作曲 (昭和25年2月)

 

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