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2016年7月10日 (日)

今は昔、七夕と牛洗い

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 ふるさとの広い夜空に浮かぶ天の川は、あわく流れている。遠い記憶の中に浮かんでくるひとつの風景は、姉さんかぶりの人が一頭の牛をつれてきて裏山の柿の木につないで帰っていく、牛は、その人が見えなくなるまで、うしろ姿をじっと追っていた。牛は何を思っていたのか、たぶん残されて淋しかったのであろうか、牛の気持ちが分かるような気がして、その風景をいまに想い出す。

そのころ、瀬戸内の農家では、田起こしや代掻きには、牛は無くてはならない存在だった。ぬかるむ田んぼの中で、足をとられながら牛は鞭で追われて辛い仕事だったと思う。農家の人は、七夕の日になると、牛を海辺につれて行ってきれいに洗ってやっていた。こどものころそれを見ていたが、なぜ七夕の日にするのか知らなかった。

いま、想えば、あれは牽牛星(彦星)になり替わって牛の面倒をみてやっていたのだと思う。天の川の水で、さっぱりときれいに流してやり、労苦に感謝する。牛を大切していたのだろうと思う。その牛たちはいまはいなくなった。いつの日だったか、ふるさとの庭先に立って天の川を見上げたとき、その雄大さは新鮮な感覚だったのを想い出す。

 

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