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2016年8月 1日 (月)

夏の記憶

160801a


 さして夏らしい痛いように照りつける日々もなく、早や8月になった。遠いむかし、夏休みになると郷里の広島に帰省していた。あるとき、山陽線のひと駅前で降りて山越えをして歩いたことがある。だれひとり通らない山道は、歩いても歩いても、うぐいすの透き通った声が聞こえていた。それは新鮮でさわやかな気分だった。

いまふるさとの青空を想いうかべれば、みどりの田んぼにそよぐ風、海につづく一本道、湧きあがる雲、夏草が身の丈まで茂っている。その中でキリギリスがチョン、ギースと鳴いている。まるで時間が止まったような、白昼の静かな空間がそこにあった。けだるいような眠くなる夏の午後、キリギリスの声は、ゆっくりと時を刻んでいるかのようだった。

最後に聞いたのは、いつだったかあのころから時が流れた。先日、教育テレビで「禁じられた遊び」のギター演奏を聴いた。この曲もよく練習していた。いま聴けば、時間の流れを象徴しているようにも聞こえる。それぞれに物語の軌跡があるように、哀愁のある旋律は、遠い何かを思い出させるような気がします。

 

 

 

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