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2016年8月20日 (土)

問われるべきは

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 なにごとも活力なくして、心身ともにすこやかではいられない。だれしも、泉から湧きあがる清水のように、人生の可能性について、つきない興味をもっている。自分のためであれ、ひとのためであれ、なにごとでも、闘志をもやす姿はひとのこころを打つ。

リオデジャネイロ五輪のレスリング女子は、6階級のうち4階級で金メダルを勝ちとった。鍛錬を重ねた心身と技で、互いに身体ごとぶつかっていく、両者はげしく躍動感あふれる姿は、見るものに清々しく雑念をわすれさせる。なによりも素手で戦うのがいい。闘志あるものをみれば、青春ともいうべき血潮がそこにある。

いま世情をみれば、71年が過ぎようとして、いまだに侵略かどうかを問うよりも、九条はバイブルだといってしがみつくよりも、いま問われるべきは、いかにして、この国の活力を高め維持していくか、声をあげるときではないだろうか。

そして、活力と良識をもって、フェアに戦うときではないのだろうか。惑わされることなく、胸を張らないどうする。闘志なくしては、もろともに沈みゆくだけかも知れない。と思うのであります。

 

 

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