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2016年8月24日 (水)

ままにならぬが世の常

160824za


 人は経験によって知識を身につける。一昔前にくらべれば、いまは多くの知識を持つようになったと思うが、やはり炭酸水のように、時間とともに気がぬけていくのは仕方がないのだろうか。知識は豊富になったが、一方で大切なものが、知らず知らずになくなっていくような気がしている。

本来、ゆったりしているべき時間の観念というか、忍耐というべきか、いや忍耐は自意識が勝ちすぎる、落ち着きとでもいうのであろうか、そんなものを見失ったようだ。俗に言うキレるということの結果のむなしさは、打たれ弱いと言うべきか、現実から逃げ出すと見るのがいいか、結果を急ぐ、手っ取り早いやり方は、結局、自他を問わず害をなす。性急な行動に走る傾向がわざわいとなり、事件を起こすように見える。

今は、自我の欲求にたいする我慢づよさが、時として失われたように思う。けれども、思慮をわすれ、感情のおもむくまま、思惑を優先して、すぐに行動に出てしまい勝ちなのは、自分を素直にさらけ出している、という意味において、まったく無防備である。愛すべき、自分の人間らしさでもある。

押さえつける圧政もない、あらゆるものが機械化、省力化されてきて、便利さを手にいれた。あとは娯楽をもとめることしきり、かって汗を流し、生きるための労力を惜しまなかった時代にもっていたものを、いまは失ったのではないだろうか。満たされた豊かさがそうさせているのか、テレビにも一因があるやも知れぬ、頻繁にでてくるCMは思考を分断し、インターバルは短くなる。根気がつづかなくなった道理とも言えるのではないか。

そうではないなあ、ものごとは自己から発するものだから、やっぱり責任転嫁はだめと思う。分かってはいるけれど、精神のコントロールは中々思いどうりには、いかないなあ。

 

 

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