« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016年9月28日 (水)

自然を自然とみるか、異常とみるか

160928a


 所信表明演説中の起立拍手は、やっぱり自然にそうなったのだろうと思います。警察、海上保安庁、自衛隊などの任務についている人たちに、心からの敬意を表そうではありませんか、という安倍総理のよびかけは、私にはごく自然に共感するものがあります。

緊張に耐え、責任感と誇りをもって、任務をを全うする人たちへ、国会議員として感謝をあらわすなら、座ったままの拍手は、おかしいでしょう。安倍総理への拍手ではないのだから、かの人たちに思いを馳せれば、区別するためには、自然発生的に立ち上がるのが、そのときの各自の感性というものだと思います。

小泉進次郎議員は、「よくアメリカなどの議会でみるのはわかるけど、なんとなく、自然じゃないですよね、ぼくもびっくりして立っちゃたよ、自然がいいと思います。」、といっていますが、周囲につられて、しかたなく立ったというなら、かれは、ぼんやりしていたのではないでしょうか。

議員のなかには、異常とみるひともいましたが、それはそれで、かれらの考えていることが、おぼろげながら見えたのでした。ひとそれぞれで、それはしかたがないことでしょう。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月26日 (月)

観客との一体感があって

160926a


 豪栄道は、両横綱を倒して全勝優勝を果たしました。みごとなものでした。相撲は技か力か気迫か、両者いずれが勝つかわからない。ぶつかりあう瞬間の緊張が、人をひきつけるおもしろさがあります。あわや重心をうしなうその一瞬の機転を体得したものが勝ちをきめる。

やっぱり相撲は、残った、残った、のふんばりどころが一番で、逆転を果たすところ、みていて緊張する魅力があります。勝敗を決した後の両者の姿に落差はあっても、それぞれ等分に称賛はよせられのもいいところでしょう。

相撲をおもしろくしているのは、土俵の上にあるのはもちろんですが、そこは国技であって観客との一体感があって、大きくもりあがるのは確かだと思います。客席は土俵を囲んで四方に対座していて、ことに、きもの姿の女性がいることは、歴史をもつ相撲にふさわしく、そして雰囲気をやわらげます。

その姿のきりっとしてゆるみのないところは、相撲道の精神に通じている気がします。格式というか作法といいますか、むかしからつづいてきたものを今につたえる床しさがあらわれてくると思います。相撲協会も和装の来場に力をいれていて、和装dayをもうけているようです。プレゼントもあり、国技館で着物のレンタルもある。いいことだと思いますね。

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月23日 (金)

移りゆく現実に

160923d



 はるか遠くの歴史の中に思いをはせるのは、悦楽のひとときです。そこでは歓びも悲しみも命を賭したことさえも感動のストーリーがあります。目をつぶれば、夏の暑い盛りであったか、北風ふく日であったか、ゆらゆらと、のどかな日の情景の中に、ひとびとの姿をおいてみるとき、何かあこがれに似た感情が湧いてきます。

小野小町は、「花の色はうつりにけりないたずらにわが身世にふるながめせしまに」、と詠んでいます。いつの間にか老いてしまった。世は移り変わる、という現実の厳しさをみたのでしょうか。

webニュースの「杉田水脈のなでしこリポート(16)」をよみましたが、『女たちの戦争と平和資料館』に潜入取材したものでしたが、在日とおぼしきひとたちが、いわゆる慰安婦の件で、そのひとたちが理想とするストーリーのプロパガンダをいつまでやるつもりだろうか。

花の色はうつりなけりないたずらに、と確実に時代は流れていくものを、ほかにやるべきことはないのだろうかと思ったのでした。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月19日 (月)

変化に対する柔軟性

160919a


 しなやかさと心のひろさがあれば、なんとかうまくいくはず。そして、本分と力量をわきまえていれば、不毛な議論にはならないはず。その協調によって得られたものが、たぶん民主主義というものでしょうか。米軍の辺野古移設をめぐる沖縄県と国の訴訟は、16日、福岡高裁那覇支部において、国側が勝訴しました。

沖縄県の翁長知事は、何がなんでも辺野古移設反対で押し切ろうとしているようにみえますが、それは無理があるような。判決で示されたものは、分かりやすいものでした。県は日本の安全について、判断をくだす立場にない。責任を負う立場もない。その上、県は国の判断を尊重すべき。という判断が示されたのでした。

翁長知事が、やらなければならないことは、県民のこころがやすらかになるようにすることであり、ひとにぎりの勢力、地元紙のキャンペーンに迎合して闘争することではないはず。

かつてこの国は西洋文明をすなおに取り入れてきました。変化に対する柔軟性と寛容をもって発展してきたのでした。おそらく県が最高裁に上告しても判決が変わらないだろうと新聞が伝えています。県が国との対決にエネルギーをそそぐのは間違っているような気がします。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月15日 (木)

わがまま、我執のない姿

160915a


 歴史の流れを経て醸成されるのが、伝統の精神というものであろう。そこからおのずと精神的風土がかたちづくられていく。それは日本人の真摯にものを見る目によって養われてきたのではないだろうか。たとえば、何がうつくしいかをもとめた結果、わびというものがでてきた。わびとは、正直につつしみ深くおごらぬさま、ともいわれる。茶道や俳諧において広まった日本独自の理念としていまに受けつがれてきた。

「正論」10月号において、憲法に関して西部邁氏は、つぎのように言っています。国民とは、国が歴史の流れの上に成り立つので、歴史上の総国民ととらえるのがよく、さすれば、国民の主権とは、歴史からもたされる伝統の精神のことだとするのが真っ当である。と、なるほど、伝統の精神に重きを置けば、個人主義の入る余地はない。

いま蓮舫氏の二重国籍が問題になっているけれど、議員資格において国籍は、あまり意味をもたないかもしれないです。この国が、長く培われた伝統の上に成り立っているなら、国政を預けるに大切なものは、その伝統精神をうけついでいるかどうか、ということが、国籍より重要であろう。もしかしたら、それが責務かもしれない。日本人であっても、この国の秩序を壊そうとするものもいるからです。

また、北海道の大地が中国資本によって買い占められている問題がおきているけれど、それとても、本国の意を受けその目的をもった帰化人がはびこるなら、国籍条項を設けても何んの意味ももたなくなる。

国政を活性させるには少数の異分子も必用だろうけれど、二大政党の一翼を担おうとするトップをえらぶなら、わがままや我執をもたない、わびのこころを生んだ伝統の姿を、理解して身につけたひとがふさわしい気がするのだけれど。

 

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月12日 (月)

若々しい躍動感の赤

160912a


 野球場のコンコースから階段をのぼって、明るい芝生が見えてきたときのはっとする一瞬の解放感は、胸高鳴るものがあります。これから始まる期待感もそうですが、あの視覚効果は、格別の感じがあります。広島カープの25年ぶり7度目のセ・リーグ優勝の瞬間をテレビでみました。

それぞれのチームが、シーズンを通して最良のコンディションを維持するのは、とてもむずかしいことだろうと思います。その中で、勝利をつかんだことは、広島の前向きの姿勢と無縁ではなく、みなが心に望んで鍛錬したがゆえに、よい結果を呼び込んだのでしょう。

みどりのグランドを背景に、赤と白が調和するユニフォームは、みるものに若々しさと躍動感の印象をあたえます。赤い色は、若返りの色とされ、体力、健康、生命力の色ともいわれます。元々、ヘルメットの色は紺色でしたが、赤に変えることは、抵抗があったといいます。

それを押し切って、他の球団に先駆けて赤にしたことは、異彩を放って成功していると思います。選手の士気にもいい影響を与えているのではないかと思います。従来の殻を破る先見の明があったということかもしれません。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 8日 (木)

黙認は禍根をのこす

160908a


 こちらに理があれば、あちらにも理があるように、たがいにゆずれない一線がある。その一線は、万人がみとめる価値あるルールの上に成り立つ。けれども、そのルールを無視した行動であるがめに、中国は、フィリピンなどが領有を主張する南シナ海をかってに埋めたてた問題で、矢面の立たされている。

中国は、理をもたないがために、乱暴な言葉を吐く。日本は当事者ではない。言動に注意すべきだ。と問題を矮小化しようとするけれども、ひるんではいけない。かれには見えないものがあって問題を起こしている。国際法にもとづく仲裁裁定を無視してやりたいように振る舞うものは、非は非として糾弾されるべきで、それに対して声を上げるのは正当な行動であり、責任ある国のあり方、義務でもあるはず。それを言わなければ、この国のかたちが損なわれる。

どんなときでも、黙認は禍根を残し、のちの災いとなるのは、目にみえている。オバマ大統領の専用機に対してタラップをださなかったことも、なんという狭量であることか、嫌がらせであることか。要するに、身を守る理をもたないために、真っ当な反論のすべを知らず、ただ感情的に問答無用といっているようにみえます。品位を捨てて、力だけ誇示するのであれば、その先に道はないような気がします。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年9月 3日 (土)

連鎖反応の輪

160903a


 打てば響くように、何ごとも自らの行動に、すばやく反応が返ってくることは、きもちがよい。人は相互に影響しあう連鎖反応の輪の中で活性化していく。たとえば、黒柳徹子さんにメールを送ると、すぐに感性豊かな返信がくるというのは、いくつか聞いています。それだけでなんとなく交友の活性がみえて、愉快な気分にさせてくれます。

けれども、世間では反応が鈍いこともあるわけで、まてど暮らせどレスポンスがないということもよくあること。仕事の場合、正確を期すためにも、自分の責任を残すためにも、メールは便利だけれども、なぜか相手から無反応ということもあります。

技術が進歩しても、それにくらべ、人の考える能力は、それほどスピードアップできるわけでもなく、何をどう反応すべきか、あるいはそのままでよい、という判断は個人差があるところ、ただ無為に時間が過ぎ、しばしば、メールという文明の利器が、人との摩擦と行き違いを起こすことがあるようです。無視されたという思い込みから、未成年の痛ましい事件に発展するのも時流に翻弄された故か、心が痛みます。

連鎖反応の輪の中にいる限り、潤滑油として適度に反応することが必要でしょうが、無用な摩擦にたいしては制御も必要になってくるのも確か。しかし、ものを言わなければ、なにもわからないですから、打てば響く、ということは大切なことでしょう。

産経ニュースによれば、民進党の蓮舫代表代行は、二重国籍ではないかという件で、記者から、台湾籍はない、ということでいいのか、と問われて、
 「すいません、質問の意味が分かりません」、
と答えられたということです。簡明な質問にたいして、高度なレスポンスでありました。おっしゃることは、わかりました。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »