« 若々しい躍動感の赤 | トップページ | 変化に対する柔軟性 »

2016年9月15日 (木)

わがまま、我執のない姿

160915a


 歴史の流れを経て醸成されるのが、伝統の精神というものであろう。そこからおのずと精神的風土がかたちづくられていく。それは日本人の真摯にものを見る目によって養われてきたのではないだろうか。たとえば、何がうつくしいかをもとめた結果、わびというものがでてきた。わびとは、正直につつしみ深くおごらぬさま、ともいわれる。茶道や俳諧において広まった日本独自の理念としていまに受けつがれてきた。

「正論」10月号において、憲法に関して西部邁氏は、つぎのように言っています。国民とは、国が歴史の流れの上に成り立つので、歴史上の総国民ととらえるのがよく、さすれば、国民の主権とは、歴史からもたされる伝統の精神のことだとするのが真っ当である。と、なるほど、伝統の精神に重きを置けば、個人主義の入る余地はない。

いま蓮舫氏の二重国籍が問題になっているけれど、議員資格において国籍は、あまり意味をもたないかもしれないです。この国が、長く培われた伝統の上に成り立っているなら、国政を預けるに大切なものは、その伝統精神をうけついでいるかどうか、ということが、国籍より重要であろう。もしかしたら、それが責務かもしれない。日本人であっても、この国の秩序を壊そうとするものもいるからです。

また、北海道の大地が中国資本によって買い占められている問題がおきているけれど、それとても、本国の意を受けその目的をもった帰化人がはびこるなら、国籍条項を設けても何んの意味ももたなくなる。

国政を活性させるには少数の異分子も必用だろうけれど、二大政党の一翼を担おうとするトップをえらぶなら、わがままや我執をもたない、わびのこころを生んだ伝統の姿を、理解して身につけたひとがふさわしい気がするのだけれど。

 

 

 

 

|

« 若々しい躍動感の赤 | トップページ | 変化に対する柔軟性 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/64205886

この記事へのトラックバック一覧です: わがまま、我執のない姿:

« 若々しい躍動感の赤 | トップページ | 変化に対する柔軟性 »