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2016年10月15日 (土)

心が曲がった思い違い

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 自虐も自尊もない。素直にみれば素直にみえるし、曲げてみれば曲がってみえる。信じる明るい心がいちばん。たとえ、信じてだまされても、信じる者は、だます者よりはるかに勝っている。それが、世を導くひとの心がけではないだろうか。

寂聴さんは、作家で天台宗の権大僧正、文化勲章を授与され、文化功労者(終身の年金350万円が支給される)。14日の朝日新聞のエッセー「寂聴 残された日々 バカは私」、の中でつぎのようにのべられています。
 「お心を傷つけた方々には、心底お詫びします。」

でも、殺したがるバカどという発言は、いまもなお死刑制度を続けている国家や、現政権に対してのものだった、とおっしゃっています。そこにはお詫びの心がないわけです。なにか思い違いで心が曲がっているような、私には、国家、現政権が殺したがっているともみえません。そう信じますね、ずっとつづいてきた法は法であるからです。

国と政府をバカ呼ばわりして平然としていらっしゃる。あえていえば国家に対する侮辱のような気がしますが、どうなんでしょう。エッセーの結びのことばは、「恨みをもって恨みに報いれば永遠に恨み尽きることなし、という釈迦の言葉を忘れないままに。」 で終わっています。

つまり、水に流しなさい、というお説教でありましょうか。かけがえのない大切な人を奪われたひとの身にとって、悲しみは、そんなに簡単なものではないだろうと思います。

 

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