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2016年10月17日 (月)

記憶という大切なもの

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 何となくいいことがあったような、明るい気分でいる自分に気づくことがある。それが何であったか、すぐには思い出せなくて時間がかかる。ほんのちょっとしたこと、誰かに言われたひと言とか、そんなものに胸がときめくような瞬間がある。人生、つらいことも、うれしいことも、かわるがわるにやってくる。

いま話題の「君の名は」という映画もそんな気がした。君の名は、という言葉の美しさがいい。新鮮で若さあふれる学生の男女が、異空間を行き来して、現実にもどってみれば、あれは何だったの思い出せない、でも、何かいいことがあったような、大切なことであったような気がしている。

見終わって、かつてのNHKラジオの「君の名は」を思い出す。冒頭のナレーションは、『忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ』、というものだった。どちらも記憶を大切していることに変わりはない。

このアニメ映画で、三つ葉、という女の子が、赤い組みひもで、後ろ髪を器用にリボンに束ねるしぐさが印象にのこった。美しい映像だった。千と千尋の神かくし、では、千尋はきものを着ている。仕事をするために、たすきを掛けるシーンがあったが、たすきが流れるように宙に舞い、両の肩からたもとをすくって、きりりとしまる。あれもよかった。

この映画は、だれもがもっている夢のような希望を思い起させる気がする。もう古い歌で、裏町人生というのがあった。霧の深さに隠れて泣いた夢がひとつの想い出さ・・・、ふと、そんなことを思った。

 

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