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2016年10月21日 (金)

必用なのは妥協という精神

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 つむじまがりは、みていてそんなに楽しいものでもないけれど、自分も少々つむじ曲がりだったりすることもあるわけで、考えてみれば、大した問題でもないか、ということに落ちつくこともあって、結局、いちばん必要なのは、妥協という精神かもしれないです。

沖縄において、怒声がとびかう言い争いのなかで、土人といわれたとて、そのごく限られた空間のことなら、売り言葉に買い言葉、そんなに問題にするほどでもない。それを大々的に宣伝するところが、メディアの悪賢いところ。

妥協というものは、頭を冷やして少し要求水準をさげることによって、双方にゆずりあいが生まれる可能性がでてくる。

新聞は、選挙で示された民意を、政府は踏みにじろうとしている、と書くけれど、沖縄の声をひろいあつめてみれば、反対行動を起しているひとたちは、どうみても、過激な暴力集団にしかみえない。その無法に、秩序を乱す行動そのものは、沖縄を代表する民意であるはずがない。

民意という言葉を借りる過激集団も、新聞も、ほとんど病気と呼んでいい。

やっぱり健康がいちばん。国家とは、やはり心のよりどころであろう。国家権力に象徴されるようにその構成や組織上の成り立ち要素を別にして、すなおに見れば、国家はいつか帰りたいと思うふるさとであろう。
伊調馨選手は国民栄誉賞を授与され、西陣の金の帯を贈られた。その晴れの写真をみながら、そう思う。

 

 

 

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