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2016年11月 8日 (火)

立ち止まるということ

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 どんなに夢中であっても、時には立ち止まることが必用で、その間にからだの細胞が再生、回復されていくといわれています。
コンピューターで動く初音ミクの唄は、ブレスがないと、小林幸子さんが、サワコの朝でいっていましたが、なるほどそういえば、そうらしい面白い話しでした。思い込みは捨てた方がよい、とも言ってましたね。

人はやっぱり立ち止まることが必要で、生きていくことは、けがれていくことであるなら、ときにむかしのことに、思いを馳せるのも意味のあることだろうと思います。

神田川は両国橋で隅田川にそそぎます。神田川をさかのぼって早稲田の先に、面影橋がある。橋をわたればオリジン電気がある。その会社に、学生時代、半導体の研究用に液体チッソをもらいにいったことがあって、そのとき、面影橋という橋があることを知ったのでした。以来記憶にのこっていました。

橋の由来は諸説あるようですが、人影が映るようなきれいな水で、そこにたたずむ人に、だれかの面影を誘ったということで、その名でよばれたのでありましょうか。

面影は、何かを追憶するやすらぎでありましょう。立ち止まれば、何かが呼びさまされる気がします。先日、目白駅あたりを歩いていて、ここにあったのかと、この橋に再会したのでした。

 

 

 

 

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