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2016年11月14日 (月)

いずれもちょっと行き過ぎ

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 よくわからないのが、100万人といわれる韓国の朴槿恵大統領の退陣をもとめるデモ、香港の雨笠運動や台湾のひまわり学生運動とも違っている。ことの起こりによって迫る危機があるかといえばそれはない。切実なこととも思えない。

そのパワーはどこからくるのか。敵をみつけて罵倒するひとときの快楽か、自分たちはただしいかどうかはしらず、とにかく悪いやつがここにいるのでみんなでやっつけよう、といういつもの集中攻撃のパターンなのか。ちょっと行き過ぎ。

朴槿恵大統領も出だしは反日全開で、上々だったが、いまや四面楚歌の窮地に立たされている。行きはよいよい、帰りはこわい、とはこのことか、立ったときから、試されている自覚が欠けていたのかも知れない。

人はやりたいようにやる、自分ではどうすることもできない内心というものもよくあること。それは自らの限界と能力というか、続いてきた時代の経験の蓄積がそうさせるのかも。ここはこの国のいくつもの経験という時間がすぎるの待つしかない。

 

 

 

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