« いうほどに信頼がゆらぐ | トップページ | インプットとアウトプットの人生 »

2016年11月29日 (火)

一葉の月の夜

161129b


 非凡なる人の人生の軌跡を見るとき、畏敬と憧憬、同情の思いが湧く。樋口一葉の生涯は、二十四年というはかないものだった。先日、樋口一葉の終焉の地という石碑をみる機会があった。その石碑は文京区西片に立っていた。

転居を決めたときの日記が、流れるようなうつくしい一葉の筆跡で刻まれている。店を売って引き移るさきは、うなぎ屋のはなれ座敷で、「家賃は三円也、高けれどもこことさだむ」、とある。六畳二間と四畳半一間、庭には三坪ほどの池があった。

秋の夜に、手すりによりかかり池に写る月をながめていると、はじめは浮いているようにみえた月が、池の深くにあるようにみえた。そばにあった箱庭の小さな石をそと落とせば、「さゞ波すこし分れて、これにぞ月のかげ漂ひぬ」、と、甥の子供にみせれば、「あねさまのますることわれもするとて」、いつのまにか硯の石を持ち出し、「われもお月さま砕くのなりとて」、はたと捨ててしまった。

それは亡き兄から受けた大事にしているものだった。
月の夜は、「
汽車の笛の遠くひゞきたるも、何とはなしに魂あくがるゝ心地す」と、『月の夜』という一文につづる。

一葉の描く文は、新鮮な時間が流れていたように引き込まれて、しみじみとする情景に誘われる。「たけくらべ」や「十三夜」など多くの作品を、そこで書いた。この若さで、世情の厳しさを知り、人の定めと、人情の機微を描いてほろりとさせる。そこに住んだのはわずか二年半ほど明治二十九年、薄幸の生涯を閉じた。

 

 

 

|

« いうほどに信頼がゆらぐ | トップページ | インプットとアウトプットの人生 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/64558487

この記事へのトラックバック一覧です: 一葉の月の夜:

« いうほどに信頼がゆらぐ | トップページ | インプットとアウトプットの人生 »