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2016年11月11日 (金)

差別というには無理があるような

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 それぞれに異なる考えがあっても、世は多数の論理によって合意しながらうごいているけれど、中には何となくおもしろからずと思っている人もいるわけで、それはまあ少数でありましょうか。

一票の格差をいう一部の弁護士グループのひとたちの根にあるのは、自分たちが応援する候補の当選を増やしたいということではないんですか。もっと表にでたい、という少数派の訴えではないんですか。いまの一票の格差といわれるものが、憲法14条の法の下に平等において、明確に差別にあたるとも思えませんが、県単位の区割り、一人に一票というのは、合理性があり公平なところでありましょう。

有権者がたくさんいる大都市部において影響力をのばしたいのなら、それなりに優れた資質をもっている人を選ぶべき責任が増すというものでありましょう。現状では、地方にくらべて大都市部は、より得票数の多いひとが選ばれ、少数精鋭ということができる。

つまり、いまの大都市部の1票は、その結果において価値が高いという見方もできるわけで、それを差別と言い切ることは無理があるような。

たとえば、国連総会では人口にかかわらず一国一票であり、中国もパラオもおなじ一票、それが正当とみなされている。という意見にはなるほどと思います。そこには大国も小国も意志表示が同等に認められているからです。

 

 

 

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