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2017年1月

2017年1月31日 (火)

やることが行き過ぎ

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 デモというものは、単に意思表示であるなら、それはそれでよい。しかし、何が何でも、それしか許さないというなら、それは不可、それは個人主義の行き過ぎ。

過去は過去としてその意味をもつが、いま国会開会中、過去よりもいま目の前になすべきこと多く、それにまい進すべきを、予算委員会で10年以上まえの発言記事をもって、政権を突くのは、ただただ、ひとを見下げ心の愉悦か、つくろっても底意地がみえる。

沖縄の翁長知事は、基地は造らせないことを訴えるといって、またも首都ワシントンに向けて飛び立った。ここに、WIIL1月号の記事がある。

「いいですか、知事さん。沖縄県は四十七都道府県の一つですよね。ということはあなたが陳情に行くところは、ワシントンじゃなくて、東京でしょう。なぜワシントンなんですか。あなたは独立国の国王じゃないでしょう」

そうそう、これはなんとなく息が楽になる。政治評論家加藤清隆氏のことばに知事は反論できなかったという。いかに沖縄の首長とはいえ、行き過ぎ。やることが同じ日本人のひとりとして、はずかしい。

 

 

 

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2017年1月28日 (土)

霧深く不鮮明な物語

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 裁判において歴史を裁くことはあってはならない。と思いますね。韓国人に盗まれた日本の仏像を、韓国の浮石寺に引き渡せという韓国司法の判決は、略奪されたという推論によるもので、あるまじき初歩的ミスというしかない。

人が人を裁くためには理性が要求される。かれは理より情がまさったか。理をはたらかせるものに課せられた厳しさというものが失われています。略奪する必要があったとも思えません。

司法が判決をだすために、過去へ過去へと600年余もさかのぼれば、霧深く不鮮明となり、かつ、起こりえた物語りは、さまざまで複雑、略奪と定まりはしないものを、結論を先に立てた帰納法にすがれば、失敗すること必定というもの。この波紋が動揺を呼んでいる。過ちに気づいてほしい。よりよくなるために。

 

 

 

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2017年1月24日 (火)

ねつ造は自ずと崩れる

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 嘘の歴史をつくりあげることに全力を傾ける。その歴史がなければ、彼ら為政者はその立脚点が、がらがらと崩れてしまうから必死になる。なかったことをあったとすることは、人をだますことに他ならない。

歴史というものは、もはやその場に立つことかなわず自由な研究対象であるべきで、政治の呪縛にとらわれるものではない。歴史として流れ過ぎたものに現代人は、お互いに責任を負うものでもない。と思います。なかったことに関しては、さらさら非があるはずもなく、言われるすじあいもない。

今日の新聞によれば、アパホテル関連のニュースで、かの国の報道官は、「日本政府はいわゆる言論の自由を口実にして責任を回避したり、『歴史への過度な焦点』などの表現で民衆を誤った方向に導くべきではない」、というけれど。いえば言うほどに狼狽がみえる。つくろっても、つくろっても、信じるに足るものなくば、つくりものは脆い。いつか自ずと崩れる運命にある。

 

 

 

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2017年1月20日 (金)

豊かさは揺るがない

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 豊かさこそが強い、だから安心してよい。言葉でも、暴力でも、ごり押しは、人の真理を損なう。結局、無益に終わるはず。

豊かさとは何か。ひとことでいえば、それが文明というものではないでしょうか。精神も物も、感性によって洗練される。長年にわたって築きあげられ豊かなものになる。

たとえば、俳諧にしても歌舞伎にしても浮世絵もまた、いまに世界に通用する。それらが、芸術として発展してきたのは、庶民がより高度なものをもとめつづけてきたからでしょう。その持続が力となり、民の程度の高さが養われてきた。

しっかりした時代がある。物心両面、その豊かさは揺るがない。だから安心してよい。そう思いますね。

 

 

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2017年1月16日 (月)

歓心を買うきれいごと

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 失敗してもいいんだよ、そのために長い人生があるんだから。と、父親が娘をしかる新春ドラマがあった。中々いいせりふだった。生きていくにたいせつなもの、すべては時間なんですね。人間うまくいかなくてもまたやり直せばいい。長い人生があるんだと、そのひとことで勇気づけられます。

歴史の流れもおなじようなもの、試行錯誤の末にひとつひとつ解決への道を進んでいく。そうやって、豊かさのあるところに歴史が流れる。ひとそれぞれに、何がよい結果をもたらすか、もっている美意識が行いにあらわれ、それが歴史となる。

けれども、日本人の行動を支えている美意識というもの、考えてみれば諸刃の剣のような気がします。言うなれば、きれいごとに取りつかれてしまうと、中々そこからぬけだせない気がします。きれいごとは固定観念と同じ、それに身をまかすのは楽ですからね。思考停止なんですね。

それがあだをなすんじゃないかなあ。きれいごとが日本人の最大の弱点かもしれません。メディアも著名人に、きれいごとをいわせ歓心を買う、政争の声も行きつくところ、きれいごとに見えてしまうような。

そこに新しい発想はなく時代の流れの中で視点を見失ってしまうような。何か落とし穴が隠されている気がしますが。

 

 

 

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2017年1月12日 (木)

旧態依然から脱するとき

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 思い切りがよくさっぱりとしている。そういういさぎよさをよしと考える日本人のひとつの特徴がある。負ければくやしいけれど、未練がましいふる舞いは、ちょっと恥ずかしい。

何をしたら美しいか、美しくないか、そういう美意識をもつようになったのは、たぶん、歴史の中で育み受け継がれてきたものだろう思います。江戸時代の武士の毅然としたところ、体面を重んじ、鷹揚としたところが、庶民に影響を与えたのではないだろうか。美意識というものは、人の行いを律するともいえます。

そのような倫理観をもっているのは、日本以外ではみられないと、呉善花さんがどこかに書いていました。

かのくにでは悲しいかな、両班の搾取が横行した社会ゆえか、美意識が育つ間がなかったか。いつも、価値観の違いに愕然とする。言動も情熱もまったく理解を超える。それは、彼のくにの為政者による教育のよるものにせよ、事実誤認にもとづく不当な言いがかりは、われらは無実の罪を着せられるにひとしい。

もっとも、大新聞と目される新聞の歪曲情報があったにせよ、いまにいたるも、みるものを見ず、正すものを正さず旧態依然によりかかろうとする姿勢にこそ、かれらにもわれらにも悲しみがある。そこに未来は拓けない。もう怒った。それでよい。

 

 

 

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2017年1月 9日 (月)

異なる目的がぶつかる

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 ひとは不完全を自覚しながら、たえず完全をもとめて努力する。日々、良かれとおもう試みに一生けんめいになる。そういうやさしい心のうごきがある。一つのまとまりの中で人間である以上、互いに不完全な部分は許容できます。しかし、一方その努力を破壊しようとするものも中にはいるわけで、その破壊分子とは戦わざるを得ないです。

辺野古の反対運動をしている勢力の中にも、日本国籍をもたない人たちが相当数いることが、いくつかのオピニオン誌に報告されています。日本にいる海外の勢力が政治をゆるがそうとしていることは、民意などではなく、明らかに破壊分子だと思います。

釜山のいわゆる慰安婦像を設置して気勢をあげるものたちにも親北の勢力がいるという。となればこれも分断工作をたくらむか。

韓国はその民間(団体)がしていることを抑えられないといっています。日本もおなじ、沖縄の破壊分子をいまのところ抑えられないのをみれば、戦わなければならないのは分かっていますが、どうすればいいのか、悩ましいです。

健全な身をたもつためには、体内の抗体は、外からの細菌を排撃すべく、一生懸命に反応するしかない。

 

 

 

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2017年1月 5日 (木)

遠い過去に達成感はない

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 二日のブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯で、あるお父さんが確か、夫婦はがまんと辛抱の連続、っておっしゃっていましたね。なるほど言い得て妙、同感。そのひとこと、温和で実直な人となりが思われます。夫婦によらず、ものごとは、辛抱なければ何ごとも成りはしない。そうですね辛抱は、目の前のことをじっと見ることでしょうか。そして受け入れることが肝心。

菅義偉官房長官は4日のBSフジの番組で、韓国南部・釜山の日本総領事館前に慰安婦を象徴する少女像が設置されたことについて、極めて遺憾、とのべています。韓国の国情をみるにつけ、あれは優越感を得たいという執念のようなものでしょうか。

その優越感は、ともすれば、脆く崩れやすい自我を支えるために劣等感を打ち消してくれる。けれども、かれらが信じるもう遠い過去のこと、しかも作り上げられたものにすがってみても何も達成感はなく、空しいものだけが残るのではないでしょうか。

韓国紙論説主幹は、ノーベル賞ゼロに、「ふがいなさ批判する前に、日本の100年越しの執念知れ!」と書くけれど、執念でノーベル賞はとれないでしょう。やっぱり、無心にものを見る目の楽しさを知っている。それを持続できる人に輝くのだろうと思います。

 

 

 

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2017年1月 2日 (月)

心豊かに

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 正月二日、よく晴れ陽射しは暖かい。鉢植えの万両の実が、ことしは大きく育った。庭に自生した万両の実は、皆、ひよどりに食べられてしまってないけれど、鉢植の万両は、軒下で助かりました。赤い実のひとつひとつが、陽を受け小さな点々に輝いています。これを見るのが日々の楽しみです。

新年恒例の一般参賀で、天皇、皇后両陛下や皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻ら皇族方が宮殿のベランダにお立ちになり、日の丸の小旗の波の前で、並んでいらっしゃるお姿は、清々しものでした。天皇陛下はあいさつで、「皆さんとともにこの日を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が人々にとり、穏やかで心豊かに過ごせる年となるよう願っています」と述べられました。あたたかいお言葉でした。

ぶろぐを書いていても思い違いもあり、心みだれることもあり、変なことを書いているのだろうと思いますが、つとめて心豊かにありたいと思います。ことしもよろしくおねがいします。

 

 

 

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