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2017年1月28日 (土)

霧深く不鮮明な物語

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 裁判において歴史を裁くことはあってはならない。と思いますね。韓国人に盗まれた日本の仏像を、韓国の浮石寺に引き渡せという韓国司法の判決は、略奪されたという推論によるもので、あるまじき初歩的ミスというしかない。

人が人を裁くためには理性が要求される。かれは理より情がまさったか。理をはたらかせるものに課せられた厳しさというものが失われています。略奪する必要があったとも思えません。

司法が判決をだすために、過去へ過去へと600年余もさかのぼれば、霧深く不鮮明となり、かつ、起こりえた物語りは、さまざまで複雑、略奪と定まりはしないものを、結論を先に立てた帰納法にすがれば、失敗すること必定というもの。この波紋が動揺を呼んでいる。過ちに気づいてほしい。よりよくなるために。

 

 

 

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