« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »

2017年2月

2017年2月28日 (火)

よせる荒波の挑発

170228a


 ものづくりの真髄は、真実をもとめることにある。技術立国日本は、つねに真実をきわめることに没頭してきました。科学は一切ごまかしがきかないからです。むかしから伝統芸術にしても工芸にしても、人はほんものをもとめてきました。

それが大切なもの、そういう精神が、歴史の中でみなの人間像を鍛えあげてきました。それはいまも息づいていると思います。けれども、時代の荒波が押しよせて、そういうまじめさには飽き足りない人もでてきました。

言論の自由といっても、うそをつく自由があるわけではないです。いま、内外の反日のいきおいに押されはしても、決して屈することはない。ともすれば、誤った思考、誤った論理と推理と願望をばらまく情報があって、挑発をうけるけれども、虚偽は真実の前にたおれていきます。もろいものです。そして世は、2つ勢力の戦いによって活性されてゆく。

真実と虚偽の対決は、まじめと、非まじめの対決です。善人ぶった悪と戦うには、それとなく悪人ぶった善となって、立ち向かうも,やむなしと思います。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月23日 (木)

難関脱出なるか

170223a


 一度きめたらやりとげる方がいいと思います。それはいろいろと難関はあるでしょうが、やる気と叡智をしぼって立ち向かえば、成らぬでもないと思うのです。築地市場の豊洲への移転のことなんですが、過去の経緯と責任の所在に一生懸命になるよりも、いかにしたら難関をクリヤできるかに、全力をあげるべきではないでしょうか。歴代内閣だって過去の内閣の責任を背負ってやってきたわけだし、東京都知事だって同じこと。

すべては現在の知事の双肩にかかっているわけで、その覚悟をもってその職にのぞんだのでありましょう。ひとがつくったレールには乗りたくないのかもしれないですが、それは器が小さいような。
過去に私利のための不正があったなら知らず、そうでないなら、都知事、議会、職員が一丸となってやってきたわけだから、いまの都が力を結集して当たる時ではないでしょうか。

ここまで進めてきたのは、何んとかクリヤできると踏んでいたからだと思うのですが、やりぬくにしろ、やめるにしろ、小池知事さんの腕にかかっている。いずれにしろ難関を脱出するか、沈没するか、舵取りの責任はついて回ると思います。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月19日 (日)

豊かさが再生への道

170219a


 釜山の慰安婦像について、韓国ギャラップの世論調査によると、像の撤去に賛成は、16%で、反対は、78%だったという。慰安婦像が象徴するものは、実態は当時としては公娼だった。それをなくてはならないもののように大切にするのは、どこか倒錯したものが感じられる。かれらの自虐の象徴とさえ思えるからだ。

もし、恥という概念があれば自制に作用するものを、それもないらしい。78%という多数が正しいのか、といえばそれは大いに疑問がある。そうなってしまったのは、情緒も過分にあるだろうけれど、多くは虚構に立った悪しき教育のせいではないだろうか。

韓国の再生の道は、多数派への疑問から始まるしかない。外から価値を吸収し、多様性の自覚へと向かうべき。それは心身の豊かさを身につけることに尽きるけれども、まずは身が安定になる豊かさの環境が必要、そうするには、損をすることはやならないことだ。反日の行動からは、何もうまれない。反日をやめてもっと楽になったほうがいい。と思いますね。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月15日 (水)

日本らしさの風が流れる

170215a


 寒さはまだつづくけれども、春風がふくように、卒業の季節がやってきます。学業を修めたひとたちはこれから未来にむかって、大空へとはばたいていきます。道徳は常に古着である。というなら、学業もまた古着といえるでありましょう。いざ、さらば、新しいものをもとめてゆくがよい。

別れを惜しむのか、晴れ着に袴姿の3人が別れを大桟橋の上を散策しています。青い空と海、この高さから富士山もよくみえる。これから卒業シーズンです。時おり街に、袴すがたの女性を目にすることがあります。それはひとつの時代の様式の美の体現でもあります。洗練された決まりごとを守るという、学を修めたものに許されるひとつの秩序でもあります。

そこにあらわれるのは、乱れ心のない清しい形を示しているような気がします。街のどこかで見かけたら、日本らしさの風が流れてゆきます。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月11日 (土)

文明のいぶきを新たに

170211b


 ひとつの時代をよびおこす元号は、何か言葉として美しさがあるような気がします。たとえば、赤色エレジーという歌がありますね、若い男女の人生模様を写しています。大正ロマンという言葉でいわれていました。中村草田男のつぎの句も、明治というひとつの時代を静かになつかしんでいるようです。
 降る雪や明治は遠くなりにけり ここにも明治という言葉に、うつくしさがあります。文明開化にめざめたあたらしい時代がはじまります。

神武から起こして、明治、大正、昭和、平成とつづいてきた元号は、時代を写してそれぞれ一時代を成して記憶に残ります。鎌倉、室町、江戸とつづいてきた幕府の権力は、しだいに世の秩序をつくる役目を担ってきました。

一方、天皇は自ずと民の中に権威として定まったといわれます。つまり万人の心のよりどころであることはいまもかわらないです。
権力と権威が別々のものとして永くつづいてきたのは、世界に例がない、とよく言われてきました。きょうは、建国をしのび、国を愛する心を養う日、この国に生まれてよかったと思います。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 7日 (火)

迷走に入る無理無体

170207a


 もうどれほど歩いてきたことか、青い鳥はどこにもいなかった。気がつけば、はじめからそこにいたのだった。

 あらゆる技術には、ある時点までゆくと、これ以上の発展はないというところに行きつく、たとえば蒸気機関車がそう、電車のモーターの原理だってそう、つまりそれが最終到達系の技術といわれるものです。その最終到達系にあるものを、さらに発展をもとめる努力は、まったく無駄をというものでありましょう。

今日の朝日の社説は、「辺野古着工 沖縄より米国優先か」と題して述べていますが、結論として文末は、「政府がなすべきは、沖縄の声をトランプ米新政権につたえ、辺野古以外の選択肢を真剣に検討することだ。工事を強行することではない。」と結んでいます。

いまに至っても辺野古以外という。辺野古V字案は、ながい年月と熟慮の末に、最終到達系として導かれたものを、政権交代後の「最低でも・・」というひとことで、迷走に入ることになったのでした。
青い鳥を捜せという症候群からぬけだせない。それが中国を利するのか、日本を利するのか。有るものを捨てて、無いものをもとめるのは、無理無体というべき、大いなる過ちでありましょう。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年2月 4日 (土)

見渡す遠景はものいわず

170204a


 冬の空は澄んでいる。空の青さが川面に映っている。はるかに見渡す広い景色はこころが安らぐ。さえぎるものがないということは、なんとすばらしいことか、のびのびとした心地にさせる。時間もゆっくりとながれる。旅人もしばし憩う。

ものごとに一生懸命になるのもよいが、時にはそこから離れて英気を養うがいい。そのひと時が心身をリフレッシュしてくれる。見渡す遠景はもの言わず、晴明も、時におぼろも、ただそこにあって姿をみせているのがいい。

ここは、多摩川の土手、二子玉川駅からコンコースを行くと遊歩道につながります。まっすぐにどこまでも歩いていけば、やがて清水が岩間を流れ落ちる日本庭園にでます。その向こうは芝生の小高い丘。昼時に、オフィスからでてくる人たちの思いは同じでしょうか、この丘に立って多摩川を見おろしています。階段を降りて行けば、そこはすぐに多摩川の流れ、今日は水鳥が泳いでいました。

 

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年1月 | トップページ | 2017年3月 »